わたしがしようとしていることの理由1・ウツの経験


わたしがなぜ、役目として、心身をととのえるお手伝いをしようとしているか、

それは、、、

 

このご時世で、心を病む人が増えているという。

わたしも、空気の重さを感じている。

今月、1月になって、ただの重さではなく複雑さを増していると思う。
完全に感覚の話ですけど

飲み込まれない強さ、判断力、行動力が必要な時代。

 

ここからは、わたしのうつの症状の変遷について。

 

はじまりは、腸

20代の頃。

職場に近づくとお腹が下りそうになっていた。
そのときは小学校に勤めていました。

車通勤だったので、

毎日同じ場所でお腹が痛くなるのでそこで車をとめてしばらくぼーっとして、

きもちが落ち着いたら大丈夫だった。

心療内科に通う。

抗不安薬をもらって、不安になりそうなときに飲む。
懇談会の前とか!あれ完全に苛めだった!

効いてるんだか効いてないんだか、謎。

原因は自覚していた。人間関係。

異動したら治まった。

 

育休復帰後の忙しさ、胃

長男長女を出産、育休後職場復帰。30代。

仕事自体は、楽しかった。

でも、子どものこと、家のこと、時間・体力・精神、きつかった。

あるときから

毎日胃が痛かった。

食べると激痛。

胃酸が出すぎていると言われるも、

病院でもらった胃薬が効かない。

胃カメラでも異常がない。

仕事を辞めないと治りませんよ、と医者に言われる。

はいそうですか、って言えるか!
と当時は思っていたが辞めりゃよかった。

病院にも頼れず、

毎日胃が痛いけれど、働く。

退勤して、お迎え行って、

ご飯作って、食べさせて、片づけて、

幼児二人をお風呂に入れて、パジャマ着せて、

歯磨いて、寝かしつけして、、

残った仕事は休日に。

したほうがいいと思ってもできない仕事もたくさんあった。

わたし、自分の限界のせいで、

クラスの子どもたちにしてあげられることが削られてしまうのかな。。。

我が子のためには、どうだろう。

あるとき、帰り際に電話が来て、うちの子が帰ってこない、と保護者に言われた。

捜索のために

保育園に延長保育をお願いした。

「他に誰がやるんだ」と管理職は言ったのだ。

お子さん、大丈夫?って子持ちの同僚は聞いてくれた。

結局遠くまで歩いて迷子になったその子は見つかって

お母さんを車に乗せてお迎えに行った。

一安心だったけれど、

やって当然、というあの空気に

あのときわたしの中で何かが切れた。

そうか、そういう立場なんだ。

わたし、何したいんだろう。

わたしの優先順位って何だろう。

誰かの優先順位の中で生きていて、それでいいの?

わたし、全部人のせいにして、

自分を大切にしてなかった。

 

ダブルケア、限界

父が死んだ。

脳梗塞の手術をして、

リハビリをして、

良くなったと思ったら、

ガンで闘病して、最後はホスピスだった。

父が体調を崩してから、当然ながら、

子どもたちのことは一切実家に頼れなかったどころか、

こちらが支えなくてはいけない状況になった。

粛々と、こなす毎日。

父が死んで数週間経ったころだろうか、

退勤後、保育園のお迎えに行って、

家に帰って、ごはんを作ろうとしても、

しゃがみこんだまま立ち上がれない。

1時間くらい座っていただろうか。

そんな日が何日も続いた。

職場でも、小さなミスが続く。
せんせー、これ間違ってるのに丸ついてるよ?とか

怒りの沸点が低すぎるけれど、

怒りをぶちまけてはいけないことはわかっているのでひたすら耐える。
当時は2年生の担任でとても元気いっぱいなお子さんたち

年度末が近づき、保護者の方から懇親会のお誘いをいただくも、

「すみません、限界なんです、、」という返事をしてしまう。
ちょうど参観日が終わったあとだった。胃がキリキリしていた。
それでも「え~!」と食い下がられるくらいわたしは元気に見えたのだろう。

退職届を出していた。

夜、寝付くことはできるけれど、

朝の4時くらいにものすごい焦燥感で飛び起きる、

それが毎日続いて、寝るのが怖くなった。

 

休職

これは絶対におかしい。

友人に相談して紹介してもらった心療内科に行った。

すぐに薬は出さずに栄養の改善から考えてくれるところ。

そのときは1月。

あともう少しで、今年度が終わる。

何とか持ちこたえたい。出勤日はカウントダウンできるほどだ。

もう教室に入って指導する自信がなかったから

診断書が欲しかった。

仕事を軽減する内容の書類をもらった。

いつ子どもたちを無意味に怒鳴りつけてしまうか、制御できる自信は皆無だった。

でも、

何とか休まないで出勤する、職員室で事務仕事はする、

でも教室には入れない。入らないほうがいいと思う。

なんてことは管理職が聞くわけもなかった。

同僚である先輩にも、辛い、ということを伝えてはいたけれど、

疲れているだけ、

子育て期はそんなもの、

みんなそうやってきた、

と言われ、

そうだよねぇと思う。

だって、わたしは表向きは元気だったから。

そして仕事を振られ、その翌日わたしは欠勤した。

どうして行かなかったのかわからない。記憶がない。

自分のクラスの指導だって精一杯だったのに、

荒れている隣のクラスまでまとめて学年の指導なんて絶対に無理だと思った。

その次の日。

朝の打ち合わせで、休んですみませんでした、って言おうとしたら、

もう無理です、って号泣することしかできなかった。

わたしの、出勤最後の日がそれだ。

 

眠る、あまりにもゆっくりな回復

そこから、

わたしは家でひたすら眠った。

こんなに眠れるものか、っていうくらい眠った。

目が覚めても、起き上がれなかった。

お金のなんとかで、退職届を撤回しろって夫がいうので書類を書かされたけど、

自分でも衝撃的なくらい字が書けなかった。

行をまっすぐに書けないし、字もフニャフニャ。

そのときちょうど、母が来てくれていたけれど、

こりゃもうダメだわ、

って言われたことを覚えてる。

何か月、そうしただろう。

食事、お風呂、寝る、それしかできなかった。

ごはんも作れないし、子どもたちのことも何もできなかった。

職場への連絡も、自分でできなかった。電話なんて、見たくもなかった。

全部、夫と母がやってくれていた、と思う。

記憶がない。

夫も辛かったんだと思う。

食っちゃ寝ばっかりじゃないか!って怒鳴られた。

あのとき、わたしは死のうとした。

そうだね、わたしは何の役にも立てない。

車に乗って、海に突っ込もう、と思った。

夫が止めなかったら、死んでいただろう。

 

職場との連絡は、夫がしてくれていたけれど、

職場の人たちは

「言ってくれたらよかったのに」

ということを言っていたそうだ。

いやいや、言ったんですよ、管理職と、近い人には。

人前に出ると、元気そうに見せちゃうんだよね。

迷惑かけちゃいけない、って思ってがんばるのよね。

だから、気づいてもらえないしわかってもらえない。

夫でさえも、

わたしが「仕事辞めたい」って言ったのは、

誰もが思う程度の辞めたいなんだと思っていたそうだ。

 

心療内科はJRに乗って通わなくてはならなかった。

またはバスと地下鉄。

周りの動きが速い。

周りだけ早送りされている。

自分のすぐそばだけ何か膜が張っていて、

重くてドロドロしている。

臨月の妊婦のようにしか動けない、と思った。

ノロノロと。

人にぶつかられる。

泣きそうになる。

少しでもビックリすると身体がキュルンとなる。
そうとしか表現できない。

薬の副作用だ。

お医者さんと相談して薬は既定の半分に減らしたけれど、

結局それでも反応がおかしくて、やめた。

 

3月、息子の卒園式があった。

そのために起き上がって出かけると、

次の1週間は寝込んだ。

入学式。

出かける。

また1週間寝込む。

週に1度数時間なら稼働できた。

 

 

それが、5日に1回動ける、

3日に1回動ける、

1日おき。。。

1日おきに動けるようになるのに、

3、4年くらいかかったんじゃないかしら。

人に会う、という行動だとさらに消耗した。

1日中起きたままで過ごせるようになるとかも、

感動した覚えがある。

今は、毎日動ける。

あのとき入学式だったけど、もうすぐ卒業式だ。

6年。

 

失ったもの、そんなにがんばらなくてよかった

ずっと、自分の身体はアラートを出していてくれた。

それをきちんと感じて修正しなかったから、

とても多くの時間を無駄にしてしまった。

上の子たちが幼児、低学年、だった頃の時間。

バカだったなぁと思う。

そんな経験ができたからこそ今があるけれど。

だから、

わたしは、

うつになるほどがんばらなくていい、って本気で思う。

そして、うつになっちゃった人のことは、

回復する手助けをしたいと思ってる。

 

どうやって回復していったかというのは、

次回以降にまた書きます。

 

 

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