許せないきもちはあるけれど、それなら。(問題はいつだって自分)


大切な人が傷つけられるのが大嫌いだ。

今日は朝から涙がこぼれた。

 

大切な人が心を病んだ。

攻撃する人がいた。

自分の立場を守るのが第一な人もいた。

そんなの、みんな、悲しすぎるよ。

 

信念を全く無視され大切なものを踏みにじられたら

それは心が折れてもしかたがない。

なぜ人は、他人に攻撃をするのだろう。

なぜそんなことが起こるんだ。

なぜそれを止めようとしないんだ。

なぜ人は自分の感情や立場を守ろうとするのか。。。

そのために挙句の果てに他人を攻撃する。

それではみんな、傷を抱えたままで、

新たな傷も作ってしまう。

 

問題はいつだって自分なのに。

 

そう、問題はいつだって自分。

人を攻撃したくなったとき。

それは、自分が何かを求めているから。

「こうしてほしかったのに!」という心の叫びを自分でわかること。

それをもらえなかったから、腹が立って、

誰かのせいにしてしまう。

でも、自分が何を欲しかったのか、そこに意識を向けない限り、

根っこは何も解決しない。

ただ相手を傷つけるだけ。

そんなことをしたら自身の魂も濁るに決まっている。

でも、自分に意識を向けることができたなら、

そこから癒しが始まる。

だって、他人ではなくて自分が求めているものにフォーカスできるんだもの。

 

誰かに傷つけられたとき。

本当はどうしてほしかった?

何を守ろうとした?

相手が支離滅裂なことを言うのであれば、受け止める必要なんてない。

相手の感情、エネルギーを、受け取る必要なんてない。

それをこちら側に通さない強さが必要だった。

自分の信念があるのなら。

でもその強さは、氣合いだけではどうにもならない。

心の強さ、身体の強さ。

何かあってからではすぐに強くなんてなれない。

誰かを守るには強くなくちゃできないときもある。

身体をととのえること、栄養、動き、細胞レベル。

心をととのえること、過去の癒し、哲学、学び、瞑想。

その辛い経験も人生には必要で、

そこから転換が起こる。

でも、できるだけ苦しまなくても学ぶことができるなら。

それがわたしが学んでいること。

 

学んでいても、

こんな大切な時に、

何の役にも立たない。

恩人が苦しんでいるのに、

何の助けにもなれない自分。

悔しい。

 

わたしが泣くのも、

許せないと思うのも、

わたしの傷と重なるから。

やっぱり問題は自分。

だからこそ人は共感して仲間となることもできるけれど、

感情に流されていては苦しい。

感情に溺れず、ハートで感じてそこから行動する。

感情を感じることと、胸や肚の奥に聞くことは違う。

怒りを解決するんじゃないんだ。

本当はどうありたい?本当は何が欲しい?そこなんだ。

 

 

なぜそんなことをした、って相手に怒鳴りこむことは簡単。

過去のわたしならそうしていた。

でもそれでは、感情をぶつけているだけなのだ。

 

今のわたしができること。

 

もしできることなら、その大切な人に心からの温かさを伝える。

それが叶わなくても、直接的ではないけれど、

心が折れてしまう前に自覚してケアできる人を増やす。

人に攻撃する前に自分を見つめることができる人を増やす。

おかしいと感じたら声を上げる勇気を。

人の痛みがわかる優しさを。

立場でもお金でもない、魂を大切にできる強さを。

そんな仲間を増やす。

 

直接的には何もできないかもしれないけれど、

少しずつ少しずつ、

変えていくことができるかもしれない。

出会う人にだけでも伝えていけたら。

一つでも、苦しみではなく癒しの芽を出すことに成功したら。

 

少なくともわたしは、

傷つける人と傷つく人を見て、

怒りよりも

この人たちが苦しみを生み出す根本、

自分自身の問題に向き合うこと、

の大切さに改めて氣づき、

心と身体をととのえるお手伝いを

もっとしていかなくてはと思った。

こんな世界が嫌なら。

そうして動く他はない。

 

傷つけなくてもいいように。

傷つかなくてもいいように。

自分の奥深くを感じ見つめ、

身体を強くする。
肉体だけではない、他の層も。

そうしたら個々は癒されるし、

調和に近づくことができる。

攻撃も恨みも怒りも要らないんだよ。

それはフェイクなの。

じゃあ、そこからどうする?なの。

 

ヨガの目的は、調和。

 

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