学校に行きたくないことと、ヨガ哲学と、トラウマと


 

さいの目切りはサイではない

 

長女が家庭科の宿題をやっていて。

お豆腐の切り方について、

何て言う切り方だっけ?

って言うんですよ。

 

さいの目切り?

 

そうそうそれ!

いや、角切りだったな、ってあとで思った。
さいの目切りは1センチくらいなの。
うちはもっと大きく切る。

 

あのさ。

さいの目って、

サイの目だと思ってない?
あの動物。

 

、、、え?

違うの?

バカじゃねーの、と隣で長男がニヤニヤする。

 

サイの目って、四角いか?
そうじゃないなら、別にサイじゃなくたって、
ゾウだってサルだってヒトだって、、

 

え、じゃあ何?

 

四角くて、さい、のつくもの、なーんだ。

 

サイコロ!!!

 

必要なことは必要なタイミングで起こる

 

ってさ、

今知らなかったらこの子はいつまでサイだと思っていたのだろう。

他の話をしていても思う。

この子はなんだか、年齢にしては幼いぞ?

いや、長男が、大人っぽすぎるんだろうけど。

長男とは、結構、真面目な話をしてきた。

「なんで?どうして?」な子だったから。

いじめで悩んだ時も、先生と合わなかったときも、

今なら感染症や政治や何かも、

日常の出来事についていろいろ、

大人に対するのと同じように、話してきた。

 

でも

長女とは

あまりそういう機会もなくて。

嫌なことがあっても

とりあえず家に帰って美味しいもの食べて

ゲームして動画見て楽しくて

それでいいや、っていうタイプ。

ときどき、真面目な話をすると、

お子ちゃますぎてびっくりする。

 

例えば最近はさすがに身体も女の子から女性に近づいてきて

身体の変化のことや

女性の身体として自覚して身を守ることも話すんだけど、

あなたどこまで性善説のお花畑なのって感じで。

それはそれで優しい人に囲まれてきたってことなんだけど。

長女と真面目に話す時間、取った方がいいのかなぁ。

別に、わたしと同じ考えにならなくていいけれど、

もうちょっと、自分でよく考えられる人になってほしいなぁ。

考えるための素材も足りないように思う。

 

と、思っていたところへ、

「学校行きたくない」
学校に行きたくない、再び。

 

ゆっくり話す時間もあるし、

何しろ娘自身が困っているのだから、

自分事として深く考えるきっかけになる。

 

なんというタイミング。

必要なことはちゃんと起こる。

これもヨガの教えのひとつ。

 

ヨガ哲学とトラウマと

 

遅刻してフニフニと家にいる娘に

わたしはそこで

じゃあどうしたらいいだろうね、と、

 

ヨガ哲学やトラウマの考え方に基づいて話をするわけです。
わたしの考えがそうなので。

 

先生は嫌だ、

というのは、

先生が悪いのではなくて、

あなたが嫌だと思っているだけだ、と。

世界は、自分が見ているからあるんです。

 

嫌だと思っているのが悪いわけじゃない。

そう感じてしまうことが悪いなんてことはない。

ただきっとそう感じてしまう仕組みかスイッチか何かがあって

それが作動してしまうの。

ずっと前に傷ついたことのせいかもしれないし、

それが何かは簡単にはわからないけど。

今先生に何か変えてもらっても
例えば来年度の担任にならないでもらっても

結局あなたの中のその仕組み&スイッチは変わらない。

だからそのとき終わったつもりでも、

きっと少し形を変えて同じような嫌なことが繰り返し起こる。

出来事は学びのために起こるからです。
学ぶまで何度でもチャンスを与えてくれてる。

 

だから、

先生を責めるのではなくて、

自分のその中身を

何とかした方がいいと思うんだ。

それが、

自分が一番ラクな道だと思う。

トラウマ、
カルマ、
解消しようってことなんだよね。
ヨガはできるだけ苦しまないで人生から学ぶ方法。

 

そして、

先生も大人だけど、

今までいろいろなことがあって、

きっと傷ついたことや我慢していることもあって、

それでも今やっていることが、

先生の最善であるんだよね。

もっとこうしてほしいとか、

それはないんじゃないのとか、

こちらから見たら思うこともあるけれど、

完璧な人なんてどこにもいない。

ほら、見ておいでって言ったでしょ、
先生の姿勢。
腰、反ってたでしょ。
胸、引っ込んでたでしょ。
真面目な頑張り屋さんなんだよ。
自分のきもちも抑えてきたのかもしれない。

頑張ることしか知らないのかもよ。
先生も人だから、トラウマがあるんだよ。
それを抱えながら、一生懸命生きてる。
それを否定して変えろって言うのもかわいそうだよ。

 

きっとわからないだろうな、

と思っていたのだけれど、

言ってる意味、わかる?難しいと思うけど。と聞くと、

神妙な顔でうなずくのである。

あ、わかるんだ。

思ってたより、理解できるみたい。

素直なだけにすぐ感化されるのも心配。

 

だけど、

そんなことを言うわたしも、

どうしたらいいか、わからない。

先生が嫌だ、

それはわかったけど、

先生に何か変えてもらおうと思う方向には行かないでおこうね、

と、

娘とわたしのきもちの方向を確認しあった。

 

そして、

トラウマねぇ、

と思い返してみる。

 

トラウマ、カルマといえば、

わたしはひとつ氣になっていたことがあった。

まだ娘が保育園児だったときのことだ。

そしてわたしは、

その夜、

娘に謝ったのである。

つづく。

娘に謝った。

 

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