役割を演じて生きている2


役割って何なのか。

自分なような、自分でないような。

わたしは母親で、妻で。

という記事の続き。

役割を演じて生きている

 

それは誰の願い?

 

その役割を果たさなければ、

何か不都合が起きると思っている。

~しなければ。

~するべき。

さもないと~になる。

 

~しなければ、~するべき、の、

~ に入る言葉は何だろう。

そしてそれは、

誰のどんな願いのために必要なんだろう。

自分の願いですか?

 

例えば、

お母さんだから我慢しなければいけない。

これは、誰の願いですか?
これを達成することによって何が叶えられますか?

 

あれれ?

わたしじゃないぞ。

 

子どもですか?

パートナーですか?

あれれ?そんなこと言われたっけ。

じゃあ逆に、

自分が子どものとき、親に、親なんだから我慢しろって思ったっけ。
子どものために働かず家にいるって、母に言われたことがすごく嫌だった記憶はある。働きたいなら働けばいいのに。

パートナーに、父親なんだから我慢しろって、思う?
わたしは思わないなぁ、もうちょっと子どもに丁寧な対応できるんじゃないかと思うことはあるけれど、我慢ではない。

 

他に頼れる人がいない?

これはあるかもしれない。

でも、わたしの環境では、

家事サポートを頼むとか、

母に助けてもらうとか、

夫と子どもたちにもっと協力してもらう

という選択肢がある。

あと、手を抜く、ね。

手を抜いてるつもりでも、まだがんばっていたりして。
基準がさ、スーパー主婦のイメージだと、全員ズボラ決定。
そんならズボラでもいいわ。
ズボラって思われたくないんでしょ?そう、そこなのよ。

 

お母さんだから何をちゃんとしなきゃいけないのか

そこは人それぞれかもしれないけど、

そのちゃんとしなきゃいけない理由が、

誰の願いからなんだか、

しかもそれで何が得られるのか、

よくわからないわけです。

 

ねえ、もしかしてそれ、

過去の知らない誰かが作ったやつ?

 

母はこうあるべき。

 

言ってしまえば、

戦時中の母とか、

高度経済成長期の妻とか母とか。

それ、たった、1、2、3世代前ですよ。

その意識が残っていてもおかしくない。

で、それ、誰にとって都合がいいの

人って簡単に洗脳されるよね?

ほら、今流行のウイルスなんかは、もう。
メディアと国でやっちゃったら、もう。

でさ、今度はこれからは女性が社会に出て活躍する時代だ、とか言い出すの。

は?でしょ。

はぁ?

国のためとかじゃなくて、自分の人生として考えるわ、働き方くらい。
そりゃ国のためってのも必要でしょう。
今の世界なら、国がないと不便でしょう。恩恵をもらってますよ。
でもね。今まで、お金のために働く人たちだって、誰が国のためにと働きました?
自分のため、自分の家族のため、まずそこでしょう。
国のために働けって、、戦時中?
血や汗流さないと維持できない国って、何?
誰が幸せに暮らすためなの?

 

あとね。

~しなければさもないと〇〇になる

この〇〇って何でしょうか。

〇〇が、起こる可能性は

何パーセントくらいになりますかね?

絶対になる?

 

片づけないと部屋が汚くなる。

それはそうです。

部屋が汚くなると?

ホコリがでる、ダニが出る、不快。

これは絶対になる。

うん、じゃあ、自分で片づければよくない?

それが無理なら、誰かにやってもらえばよくない?

片付きゃ、いいんでしょ。

 

体調が悪くても子どもの面倒は見なければいけない。

面倒を見ないと?

どうなる?

1日や2日くらい、レトルトやインスタント食べさせて病気になる?出前でもよくない?
ピザとか頼んじゃったらかえって大喜びされる。

動画見せておいても大丈夫じゃない?

お風呂に入れなくても大丈夫じゃない?

本当に子どもは何もできないのか?
年齢によるけど。

パートナーや誰かに頼れないのか?
パートナーは働いているのに?

はい来た、

『働いていると家族が体調不良でも助けなくていい』

これは本当ですか?

それ、誰が決めたの?

で、それって何のため?

 

誰かのストーリーを生きている

 

ってことはですよ。

~しなければさもないと〇〇になる

というのは、

事実じゃないのが多いですよ。

 

しかも、

それ、誰が決めたん?

っていうのばっかり。

それを、

何の疑いもなく鵜呑みにしちゃってるんです。

「わたしはそう思ってたけど、

これっていつ誰がインストールしたのかしら」って。

インストールされてるもんだから、

そのまんま稼働していたけど。

 

子どもみたいに

「なんで?」「どうして?」

って問うてみると、

スルッと答えが出てこない。

わたしたちは大人なので、ここに

「誰が言ったの?」

という問いも付け加えましょう。

 

さて、答えられるだろうか。

 

それ、自分だった?

思ってたのは自分だよ、

でも、

作ったのも、自分だった?

 

 

誰かに与えられた世界観の中で生きているんです。

誰かが作ったストーリーの中で生きているんです。

何の疑いもなく受け入れてきた。

それしかないと思っていたから。

 

ここが、

役割と自分の乖離した感じにつながると思うんだよなぁ。

 

その中で適応するために、

役割というものがあって、

そこに はまれば居場所ができて

とりあえずその世界の中ではオッケーをもらえる。

 

誰のための世界かは知りませんが。

 

そうしたら、

社会的になんやかんや言われることもない。

ご近所や親戚からも何も言われない。

職場の人からも。

真っ当に生きていると思ってもらえる。

がんばってると思ってもらえる。

 

否定されたくない

認められたい。

 

何が嫌なのか?

 

人は昔から集団の生き物だから

否定されたくない

認められたい

っていうきもちは

出てくるものだと思う。

 

だから

さもないと

だらしないと思われる

努力していないと思われる

甘えていると思われる

そういうのが

不快。

 

否定されるのが嫌なのね。

 

じゃあわたしの願いは何なのか?

 

認められたい。

 

でも、、認められようとがんばってきたら、

どうして辛いんだろう?

 

誰かの型にはまったときに認められる

ということは

本来の自分ではないってこと。

 

本当は、

 

本来の自分でいて認められたい。

肯定されたい。

それでいいんだよってなりたい。

 

誰かからもそう思われたいけれど、

自分が自分であっていいって、

自分で思いたい。

 

だって、

誰かからどう思われようと、

自分の中が穏やかだったら、

自分は穏やかで平和で幸せだもの。

 

どうしたら、そう思えるんだろう?

 

自分が大事にしたいものって何だろう?

 

つづく。

 

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