どこへ行きたいかなんて知らん。


わたしは一応個人事業主。

事業計画なんかを立ててはいない。

 

ときどき、

子どもを保育園に預けてこのマイペースすぎる働き方が良いのか

罪悪感に苛まれる。

 

働き方?

働いているのか、わたし?

 

働くということが

お金を稼ぐという意味ならば

わたしはほとんど働いていないのだろう。

 

わたしは何をしようとしているのか?

 

こんな調子で良いのか

事業計画くらいは書かないといけないのかと

思った。

でも

何か遠い崇高な目標をもってとか

そういうことはないのである。

わたしが事業計画書くか迷うのって、
いつこんなことをしてとか、そういうのがあると、安心するからじゃない?
そうだそうだ、そんな理由なら、アホだ。

 

わたしは、

今、

したいことをしている。

 

それが積み重なった先に

何かあるだろう。

 

先にゴールを設定して

そこへ向かって穴埋めをするように

できることをするのも方法だけれど

 

今、今、今、

を積み重ねても

進むことはできる。

 

そうしたら、

心地よいとか、好きだとか、楽しいとか、

あるいはタイミング的に無理だと思ったらスローダウンするとか、

予定してなかったけど面白そうだとか、

世界が急に変わっちゃたけどまぁいいかとか、

そのときの最善を選択し続けることができる。

だから先のことははっきりとはわからないけれど、

こうしている限り

面白いなぁとは思う。

 

思考で生きるというより

感覚で生きるっていうことかな。

 

そうする勇気がなかなか出ないのもわかるけれど、

思考で生きてきた人が

盤石な人生を歩んでいるかというと

どうでしょうか。

 

感覚って実は大切なのではないでしょうか。

 

しかも

思考って、

純粋に自分のものだとは限らないんですね。

誰かが言った、

世間体がどう、

社会が、常識が。

 

でも、

感覚は、

自分だけのものです。

共感とかはあるけれどね。

あと、敏感すぎて相手の感覚がわかるとかいうレアケースもあるけど。
わたしの周辺ではさほどレアでもないのだが。

 

思考ね。

思考停止して思い込まされて

諦めさせられるっていう仕組みがあるし、

そこへ感覚を大切にしろなんていう考え方が入ってきたら

邪魔でしょうね。

 

自分の内側から湧いてくるものを感じるって

楽しいんだけどな。

感覚が鈍いっていうのは、

相当、抑えることに馴染んできたってことだと、

わたしは思う。

 

アレでしょ、自分探しってやつはさ、
思考ではなくて感覚を探しに行くってことじゃない?
だから、退職しなくても、インドとか行かなくても、できるわけ。
でもなんで退職したりインド行ったりするのかというと
周りのうるさい思考から逃れたいだけなんじゃないでしょうか。
人の目やら、限られた場所での常識やらが、思考に影響してしまうから。
そして、思い切った行動をすることで、自分は殻を割れる!という感覚を得られるし。

わたしも、インドに行ってみてもいいとは思うのですが。
でも、それより南の島でのんびりしたいなぁ。

 

そしてね、

感覚、きもちが、わいてくるようになっちゃったら、

結構、面倒ではあるんだよね。

向き合わなくちゃいけなくなるし

過去のあれこれも思い出されるし

今までの人間関係や環境やなんかが合わなくなってしまうし

わたしは身体も不協和音が出るようになるし
大抵は胸が苦しくなるか頭痛がする

それを調整していくっていうのは

まー

わりと面倒よね。

でもそれでやっと、

自分の人生を生きられるような氣がします。

 

何か違う、っていうことはしない。

それだけが、わたしのきまり。

好きなことをして生きる?【「違うこと」をしないこと/吉本ばなな】

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