授業の作り方と、ボディワークのガイド


学校の先生が授業を作るときって、

指導案を作るんです。
毎回は作りません。
やってられるか。
授業に慣れない頃はザっとメモ書きくらいはします。
慣れると、書きもしません。頭の中。だって臨機応変だもの。

どんな流れにするのか。導入とまとめ。

どんな問いにするのか。

予想される反応は。

時代によって形式は違ったりするけれど、

まあとにかく作るんです。

研究って言う名目で、

ひとつの授業を作るために、何時間も話し合ったり指導案を書き直したりします。

フォントがどうとかこの文字は何ポイントでとか、誤字がどうとか、馬と鹿ですよほんと。

 

で、わたし

思うんです。

 

どうやって課題に惹きつけるか、

どういう問いを投げかけるか、

そういうことを考えるのが難しかった。

 

でも実際に授業をすると、そこが面白い。

しかし指導案には子どもたちの反応は盛り込めない。

どう出てくるかわからない。

それなのに指導案を何時間もかけて作る意味ってあるのか?

そして1年の終わりに冊子にする意味あるのか?
一生懸命の方向性を変えたらもっといいのになって思う。
今までやってきたから、ってそのまま進もうとする。
組織って難しい。
まー文句言ってもしょうがないので生きる場所を変えりゃいいんです。
嫌なら辞めろです。
嫌だと思っている場所で自分の能力は発揮できないし、そうするとただの使えない人です。
組織にとっても個人にとっても良くない。
やー違う違う、授業の話に戻る。

 

実際にやってみると、相手の反応があるわけで。

それとうまく絡み合いながら進む。

ヒントや問いかけや話を振ってみること、つぶやきを拾うこと。

辿り着いてほしい今日のまとめはあるんだけど、

それに自力で辿り着いてもらいたい。

そういうのってやっぱり、

指導案なんていう計画には、盛り込めないよなぁ。

むしろ指導案が邪魔!

それに、授業って、やっぱり今日学んでほしいものが決まってるから、

どうしても、誘導しないといけないときもある。

 

 

ボディワークを学んでいて思う。

辿り着いてほしい答えをこちらが用意して、

そこへ最短距離で行けるように考えても、

うまくいかない。

嫌だった授業的なことをうっかりしそうになる。

 

人はあまりにもそれぞれすぎる。

身体のつくりもそうだし、

心も、思考も、経験も。

 

こちらが『今日のまとめ』をボンと用意して、

指導案的なモノを用意しても、

それは、相手を見ていない。

 

型に人をはめる、

ということをしそうになる。

 

違うんだ。

その人に必要な動きは何なのか。

今その人は何を感じているのか。

どうしたら気づきを得られるのか。

しかも気づきの内容はこっちには決められない。

 

それは新しい動きの提案かもしれない。

質問することで、意識が向いて気づくこともある。

 

思考で言ったら、問いなんだと思う。

 

問いってすごいと思うんだよな。

 

質の良い問いは

答えを押し付けられることなく自分で答えに辿り着くんだもの。

それはちょっと遠回りかもしれないけれど。

 

わたしは日々自分に問いを投げかける。

 

「今、身体で緊張しているところはある?」

「どんな気分?」

「それは誰かの目を気にしているからじゃない?本当はどうしたい?」

そうすることで、

無意識の無理が減ってきた。

「自分ばっかり頑張って、もう!」がほとんどない。

 

問いはサーチライトをオンにする

サーチライトを動かすのは問われた人。

何が見つかるかは、その人の中にある。

ってことかな。

 

ボディワークで身体が変わる。

できないと思っていたことが、ヒョイとできるようになる。

じゃあ今までって何だったのか?と思う。

当たり前、が変わるし、疑ってかかるようになる。

身体がラクになると思考も変わる。

身体を感じられるようになってくると、

心も感じられるようになってくる。

自分自身に問いかけるようになってくる。

日常が変わる

人生が変わる

 

しかしスタートラインが個々で違いすぎる!

身体の感覚って何?

って人から、

見えないものまで見えちゃう人たち。
わたしはまだあんまり見えないんだけど、見えてるでしょって言われる。

 

やるワークは同じでも、

それぞれにオーダーメイド。

指導案なんて作れない。

そこの違いって、問いじゃないかと思うんだよなぁ。

そりゃ身体に触れるガイドも違う。

でもそのガイドだって「こうしてみるとどう?」っていう無言の問いで。

もちろんワークの種類も大雑把さん向けと繊細さんで選択肢は変わるけれど。

うわー。

感覚だよなぁ。読み取って。

雰囲気、表情、動き、発言、目線、あらゆる点と点を繋げて。

そして引き出しをたくさんもってて、そこから出す。

だから、「こうだったらこう」なストレートな答えがなくて、

学びに終わりがない。

自分が成長するほど、経験を積むほど、進化するってこと?

面白いけど、難しい、けどやっぱ面白いわー。

時間に追われずオーダーメイドのレッスン、そしてよりよく生きられる。

自分の経験が役に立ち、お互いにとって成長につながる。

それってわたしが授業でしたくてもできないって気づいたこと!

ここでやれる!

 

ていうかそういう教育できないの?

 

ちなみに今わたしは、

変化のギリギリに耐えている状態だと思う。

身体に変化をさせていくと、

今までの歪みが出てくるんだと思う。

身体も、心も。

それを解放させるまでに、

ちょっと苦しくなったりする。

ときどき胸が苦しくなったり、

感情の波が来たり。

でも今までのとは何か質が違って、怖くないし飲み込まれない。

こういう変化を経験することさえ、

誰かの役に立つなんて、すてき。

 

ただただわたしの脳内の話でした。

おしまい。

 

 

テキストのコピーはできません。