カクメイは続く


悩みや痛みの根本は同じところにある、

と言われて、

向き合ってみようと思った

カクメイの始まり

の続き。

 

予想通り、わたしが引っかかっていたのは、

親。

父親、母親。

 

傷ついた記憶

恐怖の記憶

わかってもらえなかった寂しさ

助けてもらえなかった寂しさ

 

すべてが全部そういう記憶なのか?

 

それでもわたしが

父の死の直前に

無理にでも許して

ありがとうと伝えたのは

何だったのか?

 

 

頭で一生懸命、

心が折れてしまわないように、

考えて納得させてきたんだ。

 

母に言われたことがある。

母の弟が亡くなって(自死だった)、母が泣いていた時だ。

泣いても戻ってこない、とわたしは言った。

そうしたら、

あんたは正論ばっかり言う、って。怒られた。

わたしはそのとき、

飲み込んだ言葉がある。

「正論を見つけなければわたしはやっていられなかった。

そういう育ち方をしたんだもの。

わたしはそうして乗り越えてきたんだよ。」

 

そんな記憶も出てきた。

 

 

でも、

ここからがひとつの革命なの。

 

辛かった記憶の数は多い。

あんなことされた、こんなこと言われた、

でも、映像としてはっきりと思い出せない。

 

嬉しかった記憶の数は少ない。

でも。

思い出せる。

 

え、どうして。

 

 

ほら、あるじゃない。

温かい手の記憶が。

わたしはこの人の実の子どもじゃないけど、

ちゃんと子どもとして見てくれてるんだなって、

分厚くて乾いた温かい手に繋がれて思った。

小学1年か2年の記憶だ。

 

どうしてなんだろう。

 

悔しい。

くっそー。

 

許したくない。

許してしまったら、寂しさがあふれてしまう。

接し方が暴力とか何とか、うまくできなかったのは父の問題なんだけど、

でももっと甘えたかったんだよなぁ。

 

 

でももう、

手放していいんだ。

もうわかった。

わたしは寂しかった、それだけだ。

そして耐えようと、とてもとても、がんばってきた。

だからこんなに身体が辛くて、

だから他の環境でも似たような人が居ると辛くて、

もう満身創痍でがんばっていたじゃない。

おつかれ、わたし。

よく今までがんばったね。

そう思えたら心の氷がとけた。

そんなふうに思ったの初めてだ。

もっと頑張らないからダメなんじゃない、って思ってきたのに。

 

母には、

すごく嫌だったことや、

寂しかったって、

伝えたことがある。

それもまだ1年も経ってないほど最近。

 

お母さんに触れてみるといいですよ、

と言うのむさん。

まさにその晩、母が来ると言っていた。

骨折入院した祖母の入院保証人のサインくれって。

えええ。

なにそのタイムリー感。

 

むり。

絶対無理。

母に触れた記憶がない。

んー、でもこれは、母が生きているうちにしかできない。
いやまだ元氣だろうけど。いつ何があるかわからない。冗談抜きで一生後悔するかもしれない。

 

 

そんなわたしは母に

トークセンするよって背中と肩回りを叩き、

ついでに肩甲骨あたりと腕に触れました。

 

そういう目的で触ったから

心がどんぶらこすることはなかった。

よかった、トークセンやってて。

 

母が、いつもより明るい顔して帰っていった。

 

(つづく、かもしれない)

 

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