真実はそれじゃないから


マスメディアからの情報は必ずしも真実ではない。

公的なところからの情報も必ずしも真実ではない。

そういうことが実感としてよーくわかったこの数か月。

わかっていたけどここまで実感させてもらえるとは。

 

ネットで拾える情報も、

本を読んで得られるものも、

本当かどうかはわからない。

情報を出す人やら団体やらには、事情や思惑や願いや期待なんかがある。

個人が心の底から思って発信していることではなかったりする。

しかも思っているだけで真実は別だったりもする。

データは。証拠は。そのデータの確かさは。

 

不確かなものと誰かの思惑とで溢れている。

 

じゃあ確かな真実って何か。

 

 

 

自分で実感できること。

自分で見たもの聞いたもの感じたもの、そのもの。

五感では感じられないものもあるということに対して

開いておくことも必要かと思う。

 

 

何を真実とするか。

その受け取り方が、

二極化しているように感じる。

言われるがままに信じて従う人たちと、

違和感を感じて立ち止まる人たち。

恐怖と不安と批判、責任逃れ。

冷静と観察と思考、そして準備。

 

この分かれてしまったグループで、

通じ合うところがなくなってしまってきている。

あ、違うんだこの人、と思ったときに、

もう、説明するには、かなり遡らなくてはいけなくて、

短い会話の中で、わたしは言葉が見つからなかった。

冷たいかもしれない。

でもそんな時間はわたしにはない。そもそも相手にもない。

自分で気づくしかないんだ。

そしてその素地がなかったら、もう遅いのかもしれない。

変わりたいと思えない人に手を差し伸べることはできない。

それもその人たちに必要なことなのだろう。

わたしもたくさん助けてもらってる。

助けてもらっていなかったら、

今頃、恐怖の渦の中だったろう。

 

生きとし生けるものの苦しみが取り除かれますように、

その思いはあるけれど。

 

わたしは、できる範囲で貢献する。

先日の親子でヨガレッスンで、

レッスン後の大人の顔の変化を見て、

これは必要なことだって思った。

ヨガとボディーワークとトークセン。それから、話すこと。

当日と翌日にすぐさま来月のリピート予約してくれて嬉しかった!

自分だけがよければいい、じゃダメなんだ。

だって、自分が生きていくところ、

子どもたちが生きていくところ、

一人じゃないんだもの。

みんなで、心身ともに健康になりたい、ありたいじゃない。

来てくれる人に愛を注ぐ。同じ思いの人に。

これをやっていくために、わたしは、

自分のパワーが欲しい。

だから、ととのえる。

 

さあ、分かれ道。

自分は、どっちに行きたい?

自分の大切な人たちのことは、どうしよう?

できることは、何だろう?

 

テキストのコピーはできません。