間違ってました


郵便局へ行ったら、商工会で子どもたちにお花をくれました。

ガーベラを一人に一輪。

コロナ自粛がんばったね、だそうです。

3歳の末っ子に「でもお休み嬉しかったよね」って言ったら

「うん。でもママががんばったからくれたのかな。それならママにお花くれたらよかったのにね。ま、いっか!」

と話していました。

おしゃべりな3歳児です。

 

やー、ところでさ。

あー!違った!

全然違ったわ!

子育てのことも、家事分担のことも、

グダグダ悩んでいるけれど、

焦点合わせるところから、おかしかった。

 

周りがどうとか、

他の家庭がどうとか、

伝統や社会がどうとか、

そんなことじゃない。

 

考えるべきは、

自分と、それと直接関係ある人の、

都合と規準・基準なんだ。

規準と基準の違いにこだわるあたりが教師でしょ笑、評価きじゅん。

 

感じたこと、思ったことを、

問題を共有している(はずの)人とシェアして、

そこから、

じゃあどうしていくか、だ。

我々にとって心地よい状態にするにはどうしましょうかね、と。

 

だから、社会的にはこれが正しいんだけど、とか、

現代日本ではこうだけど、とか、

そこ、丸ごと要らない。

 

夫が外で働いているのに家事の負担を強いるのか?

と罪悪感みたいなものを感じているわたし。

「旦那さん働いてて奥さん家に居て、家事できるじゃなーい」

って、頭の中で誰かが言ってるけど、

なんでそんな声を自分のきもちより優先しようとしてしまうのか。

だいたい、夫が実際そう思うのか?

子どもたちは、母さん外で働いていないのに家事してくれない、って思うのか?

そこは、

「一般的に言うと、、」

ってところはすっ飛ばして良くて、

「うちの家族はそれぞれどう感じ何を思うのか」ってところを、

伝え合わないとわからない。

 

あー、この、見知らぬ誰かが脳内で言う声に、

結構支配されてると思うよ。

怖い怖い。

 

 

教育についてもそうで、

もっといろんな働き方や世界を見せたい、

ってわたしは勝手に思ったけれど、

子どもはそれを求めているのかしら。

わたしは、学校へ行かないのなら違う道を『見つけなければならない』という思考に嵌るところだった。

ああ、わたしは、引っ張る人ではありたくない。

相手がそこへ行きたいとなったら道を教えてあげられたらいいと思う。

ときには一緒に学んで。

それが、ガイドなのかな。

 

 

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