学校に行きたくない


この休校で、

心穏やかに過ごせた子たちっていると思うの。

意地悪を言ったりしたりしてくる子がいない。

いろいろ合わせてあげないと機嫌を損ねるあの子がいない。

気の合う子が居なくてペアとかグループを作るときに一人になる気まずさがない。

アホみたいに騒がしいことがない。

わけのわからない決まりに縛られない。

なんか知らんけどすぐ怒る先生がいない。

わーい、解放。

からの、この登校って、精神的にかなりきついと思う。

 

うちの上の子たち二人は、どっちとも、不登校になりかけたことがあって。

今は行ってるんだけどね。

先生と合わなかったり、クラスの子にいじめられたり。

親の育て方がマズいのかって考えたこともあった。

でも、子どもの話を聞いていると、そんなことはないって思った。

だって、わたしが子どものころに思っていたことと同じこと言うんだもん。

そういうわたしそのものがもう、おかしいって言われたら、そうですかとしか言えない。

上に書いたようなことを言うわけよ。全部ではないけど。

それを正直に表現しているだけだし、涙が止まらなかったり体調を崩したりまでして抵抗している。

自分を抑えて感情もなかったことにしていた過去のわたしより、

ずっと、勇気のあることで、正常な感覚なんじゃないか。

 

何だそんなことで、って思える人なら大丈夫なんだよきっと。

そんなふうに軽く思えないから苦しい。

きっと、そういう子って、繊細というと語弊があるけれど、

標準よりちょっと細かい粒々の世界で生きているような気がする。

解像度が高いというか。

だからいろいろ、感じてしまうし、気になってしまう。

感動も大きいけれど、好きじゃないことも感じてしまう。

 

だから、『不登校や引きこもりの子の育て直し』とか聞くと、本当に吐きそうになる。
そうやって否定して否定して、枠にはめようとすることの愚かさに気づけよ!
そういうことに抵抗して不登校や引きこもりしてるんじゃないのか。
それじゃあ親も敵になっちまうわけだ。
本人からしたら、絶望的だよね。
感覚も理解されず、むしろ間違ってるとまで言われ、乱暴に世界に押し込まれる。

 

わたしは、母親としてあのとき、

やっぱり、学校へ行ってくれたらいいのになって思った。

でもね。

それは、自分が大変になるのが嫌だったからだわ。

え、ずっと家にいるの?

勉強はどうするの?昼ごはん毎日作るの?

めんどくさかったの。

ひどいわ。

いや確かにね、学校へ行かないことで失われる経験や機会なんかを、

自分が悪いわけでもないのに手放すなんてもったいないっていうふうにも思った。

でも、生活が変わる不安のほうが大きかった。

あと、学校へは行かなくてはいけないもの、という洗脳ね。

何なら、どうして学校へ行かなくてはいけないのか、というのを、聞いてみたらいい。
きっと半ギレになりながら「将来困るでしょ」っていう人が多いと思う。
学校に行くメリットについてわたしが思うことは次回以降の記事に書く。

 

それがさ、

この休校とか分散登校とか3か月以上大変な波にもまれ、

意外とできるじゃないか、

と思った。

不登校ってこんな感じかと。

 

そりゃあ学校に日中ずっと行ってくれた方が楽だ。

でも、行かないって言うなら、できないことはない。

そんなに、深刻になることでもない。

最初の頃は、気が狂うかと思ったけど、それは慣れたわ。

 

家に居ても勉強はできる。

人と接する機会もゼロではない。

昼ごはんは何とかなる。手抜きしたり、子どもが調理実習のように作ったり。

 

勉強っていろいろある。

料理することだってそうだし、

インターネットで学習用の動画を見ることもそうだし、
自分の知識理解レベルや興味に合わせられるのでとてもいい

家庭菜園の方法を本で調べてやってみたり、

親と政治やお金のことや人生観なんかを話したりもね。

ボディワークいっしょにやってみる?とか。

気に入った本をシリーズで読むとか。

プログラミングをやってみるとか。

もちろん学校の教科書で勉強してもいいしさ。

 

学校の勉強ができなかったらどうなる?って怖いのは、

レールに乗れないからなんだよね。

とりあえず、就職には、高卒とか大卒とかが条件だったりすることも多い。

思い立ってすぐできる職業じゃない場合もある。

例えば医者になりたいとか学校の先生になるなら、さらに免許が必要。

しかもさ、学力と収入の相関関係って、ないとは言えない。

 

でも、それが絶対とも、言えない。

、、、つまり、わかりやすいんだな、

学校に行って勉強しておけば何かの道があるよって。

学校へ行って、就職する。そうしたらとりあえず稼げますと。

逆を言えば、そのコースを外れた場合は、どうなるかわからない。

だからこわい。

わからないから、怖い。

用意されてもいないし、わからないから、自分で考えなくてはいけない。

 

何もしたくないくらい疲れちゃったなら、やる気になるまで何か月でも何年でも休めばいい。

心身を癒す方法は休む以外にもある。合うものに出会えたら回復は早い。

 

でも何をしたらいいかわからない、というのが現実的に多いのではないかな、想像だけど。

もし学校へ行かなかったら家で何をするのか?

 

わたしね、子どもの不登校とかひきこもりを肯定できないのは、

面倒くさいという理由の他に、もっと根本的な理由があると思う。

 

それは、

他にどういう選択肢があるのか、

周りの大人が提示できないからだと思うの。

 

怖いでしょ?

この子どうなっちゃんだろうって。

その先を描けないでしょ?

小学、中学、高校、大学、就職、っていう、辿る道しるべがないの。

 

その恐怖や不安感から逃げたくて、

学校に行きなさい

さもないと大変なことになる

と言ってしまう。

これはあなたのためなのよ、と。

 

そういう親をもってしまった場合、、、

辛いなぁ。

それこそ育て直しの会みたいなのに入れられてしまう前に、

まず自分の思いに気づいて、親に伝えられるようになればいいんだけど、

そうできる助けを自分で何とか探せたらいいのだけど、

そういうところってあるのかなぁ。

うわ、ごめん、役に立てなくて。

わたしがそういうところを作ればいい?泣

それからね、もし自分が伝えられるようになったとしても、

親に受け入れられる器があるかっていうのは別なんだよな。

そこは変わる自分を見せていくしかないんじゃなかろうか。

わたしだって、収入の安定した仕事を辞めるときには、

反対されたもの。親じゃなかったけど。

でも本当に辛かったし、心身を病んでまでやることはない。

もう何もできなくなって涙が止まらなくて寝込んでから、辞めても良いって言ってもらえた。

そんなに辛かったとは知らなかった、って言われた。いや言ったから何回も。ビビるわマジで。

辛さを抱えるのは結局自分だから、理解されるよりも先に自分を救え。

自分の人生に責任持つのは自分だ。

 

 

ところでわたしの今の仕事なんだけど、

いくつかの種類の仕事を細々とやっている。

学歴は関係ない。

大卒でも教員免許があって何かの資格があっても、

関係ない。

でも無駄じゃなかったと思ってる。

通ってきた出来事や経験に、無駄はない。

無駄じゃないけど、学校の勉強がなかったら死んでいたとか苦しんでいたとかは思わない。

あってもなくても大丈夫だった。

お金が不足したら、パートなり、臨時職員なり、働けばいいし、

今は興味のままに書いたり勉強したりしている。

将来的には、経済的に独り立ちできるくらいになれたらいいなぁとは思うけれど、

別に離婚を考えているわけでもない。

好きなことをやりたいって進んでいられるのは、

いざとなれば専門的な仕事で職を得られるという安心感があるから、とも言える。

それは学校に行ったおかげだな。

もちろん、パートナーに収入があるから、というのも当然ある。

それはそれで甘えていいんだと思う。

前は、そんなのダメでしょって思ってたけど。

その環境があるのなら、甘えていいんだわ。

 

お決まりのコースで生きてこなくても、

人生に満足していたり、

社会に貢献したり、

暮らすに必要な収入を得たり、

ちゃーんと、生きている人たちがいる。

 

正直言って、

学校に行かなかったらその先どういう選択肢があるのか、

っていうのは、わたしもそんなにたくさん提示できない。

無限にあるだろうし。職人の師匠を見つけたとかでない限り、同じ道をなぞることはないだろうから。

でも例としては、いろんな人に会ったり、本やなんかを読んだり、知ることはできると思うんだよね。

学校に行かないっていうことは、

決して、人生どん詰まりってわけじゃないんだよ。

選択肢が無限になっちゃって不安にはなるけどね。

そもそも大学を出たところで仕事があるかって言うと、そんなことない現実を、どうして大々的に教えないんだろうか。

 

学校の先生なんてさ、

周りに学校の先生だらけなんだからさ、

そんなに将来の選択の幅を知らないかもしれないよ。

でも、違う職業を経験している先生もいるし、

親身になってくれる先生だったら、もしかしたら、一緒に調べてくれるかもしれない。

親もどうかな、どんな生き方してきたのかなあ。聞いてみたら?

わたしも、雇われる仕事を辞めたことで、

いろんな人の仕事を職業として見て考えたり、

お金とかやりがいとか、好きなこととか困難とか、

理解されることされないこと、仲間、同志、学び、

優先順位、大切なもの、それぞれの生き方、

いろいろ別世界があるってわかってきた。

学歴とか、社会的立場とか、収入とか、与えられる業務だけで見てたら、気づかないで一生終わってたわ。

それが、くっそーって感じではなくて、

へぇ、面白い!って思えるのは、今までの経験があるからだろうし。

 

だから例えば学校や会社って、はぁ?って思っちゃうようなこともあるけれど、

逆に利用してやるくらいの気持ちで行けばいいと思う。

しかしそれも難しいときは多いよね。

 

もし、今度うちの子たちが、本気で学校に行きたくないって言ったら、

そのときは、

ちゃんと受け止めて応援してあげようと思う。

そしてそう言い出さないとしても、

いろんな生き方を知ってほしいと思う。

わたしも、そんなに知らないから、わたしが学んで伝えてもいいと思うし、

一緒に学びに出かけてもいいと思う。

 

それから、もし、今の仕組みに何となく合わなくて苦しんでいる人がいたら、

そこから外れちゃってもいいんじゃね?

って囁いてあげたい。

あなたの心は何を求めているの?

何が怖いの?

じゃあどうしようか。

 

長くなったけれど、読んでくれてありがとう。

 

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