学歴、資格、勉強、それから、たんぽぽ。


なんぼ勉強したって本読んだって、

生活に活かせないならゴミと同じだよ。

どんな立派な学歴や

どんな講座修了や資格や

それを得て通り過ぎても

今あなたの生活が、日常が、心が身体が、

ラクじゃないなら、

ラクでないとしてもその先に光があることをわからないなら、

何の意味もない。

ただの飾りだよ。それとも自慢の種かな。それとも過去の自分にしがみついてるか。

もしくは外側からの承認を得たいか。

 

外側の世界ではいろいろなものが渦巻いている。

それに文句を言うこと、声をあげることも、ときに大切だ。

汚いもの黒いもの濁ったもの、あるさね。

それに利用されるなんてまっぴら御免だ。

はっきり言って我々は誰かの金儲けのためのコマでしかない、

と感じることはある。

それにさえ気づいていない人も多い。

でもそういう世界にすぐに変革を起こせないのなら、

そういう世界を逆にどうやって利用してやろうか。

ヒトを金儲けのコマとしか見られない世界はある。

でも、わたしはそういう世界観ではない。

同じところに生きているけれど、

そういう仕組みの中で生きていたくないから、

違う、を選択する。

見たい世界を。

そういう仲間といれば、そういう世界ができる。

 

今、考えること感じることをやめたら、飲み込まれる。

手を抜く、氣を抜く、諦める、そういう意味のラクではない。

ラクに力を出せるということ。

本来あるものであったら、がんばらなくても力は出るんじゃないかっていうこと。

ふっと脱力して任せてみたとき

やっと任せていなかったことがわかって

とてもラクで

力も出る。

力の出し方を模索してきた。

でも知るべき、経験すべきは、力の抜き方だった。

 

「わたしは今までこれしてあれしてがんばってきて~、、、、」

 

いやいや、

あなたは

本当はどうしたい?

どうありたい?

どうしたかったの?

外側につけてきたものを聞いてるんじゃない。

内側のことを見て。

 

もういいの?

それならなんで、文句言ってるの?

なんで、身体が悲鳴上げてるの?

別にいいんだよ、諦めても。

なのになんで、抵抗してるの?何に?

もういいってのはね、ただ投げ出しているだけです。

感じることは面倒だから。

向き合うことは面倒だから。

 

あ、でもね、そういう腐海の中で暮らしている時期も、あっていいと思う。

そっちの方にずーっと行っちゃって、

そうしたら、今度思い切ってあっちの方に行ってみて、

あ、心地いいのはここか、って見つけると思うんだ。

 

ね、わたし。

 

たんぽぽの種ってさ、運んでもらうの前提だよね。

綿毛さんがあってさ、

そこへ風も吹いてさ。

風じゃなくて子どもがフウッとするかもしれないし。

吹いただけじゃ飛ばなくて、3歳児により道路に叩きつけられる場合も見たけど笑。

それでもそれで飛ぶの。

で、土があって雨が降って、芽が出る。

葉が出たらむしられてウサギのエサになる。

たんぽぽの黄色を見てウキウキする人もいるし、

わー、雑草生えてきた、って嫌がられることもある。

好かれようが嫌われようが、たんぽぽのせいじゃない。相手の都合。

どこぞの原っぱでは草刈りが行われて遠くのたんぽぽが苦しんでいるので我々も自粛しましょう、

って咲くのを自粛したりもしない。

花が咲いて綿毛になって飛んでいく。

風も子どもも、土も雨も、たんぽぽを助けようと思ってはいないけれど、

うまいこと組み合わさっている。

誰かが無理しなくてもちゃんと役に立つ。

組み合わせなんだ。

 

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