生き方に迷ったとき【ヨガ哲学】


ヨガ哲学との出会い

 

わたしの人生をガッツリ変えたのは、

ヨガ哲学との出会いです。

 

子どものころからの疑問だった。

何のために人は生きるのか。

この世界って何なのか。

もしかしたら全部夢なんじゃないのか。壮大な夢。

 

とりあえず社会的に用意されている道を外れずに大人になって、

無事就職して働いてはいるのだけど、心も身体も調子が悪かった。

誹謗中傷に疲れてカッターを手首に当てたこともあった。

本当はやってみたいこともある。でもそんなの無理だと思っていた。もう遅い。それにリスクが大きい。

 

そこへ父親が大きな病気を立て続けにした。早期退職して人生を楽しもうとしていたところだった。

わたしが声帯ポリープの手術をする数日前、父の様子がおかしい、と母に言われた。

言葉がうまく出ない。シャツの裾を出したまま気づかない。俺は大丈夫だの一点張り。

会いに行ってみて、すぐに脳神経外科に電話をした。脳梗塞で即入院だった。

ある日突然生きるか死ぬかに向き合わされる父。

自分の身体より仕事を優先して結局手術を受けるわたし。
少し声を出す仕事を休めば手術は避けられる可能性がある、と医師に言われたのだ。それができなかった。

生きるって何なんだ。人生って何なんだ。仕事って何なの?

これが、わたしにとって重要な転機だったと思う。これでもかって病が教えてくれた。
喉のポリープだけじゃない。胃も痛かった。咳も2か月くらい止まらないのが普通だった。胃も咳も薬は効かなかった。
父の病でも気づかなければ私自身がもっと病んだことだろう。そしてこの後わたしはウツになるのである。

やりたいことを、やろう。

そうしてヨガの学びを始めた。
そのときはアーサナ(ポーズ)を学ぶつもりだったんだけど。哲学寄りだった。それもかなりの。

 

その後、回復した父は二つ目の病気で余命宣告をされ、日に日に痩せ細って、死んだ。

ヨガ哲学で学んだこと、

魂があること、見えるものだけがすべてではないこと、その通りだった。

わたしにとっては、いきなりの実践編だった。

なんせ、死んだ父親に怒鳴られるっていうね。死んでも怒鳴るかよ。魂はあるよ笑

 

だからね、わたしにとっては、最初は怪しい怪しいと思っていたヨガ哲学だけど、

これは本当だなって思ったわけです。

机上の学問みたいなもんじゃない。

子どものころからの疑問の答えもあったし、

生活の中でぶち当たる問題を、どう見たらいいか手助けしてくれる。

苦しみって何だろう?悩みって何?悲しみ、嫉妬、怒り、、生活って何だ人生って何だ仕事って何だー。

これだけが真実とは言わない。でも、わたしにとっては、へぇー、ほぉー、と思えることばかり。

生きるための、哲学。

さすがにサマディとかはよくわかんないし目指してない。

 

あのあとわたしは暗いトンネルにしばらく入って、

本も読めなくなってしまったのだけど、

それからずっと、学んだことに救われてきた。

辛いとき、迷ったとき、心の中が嵐になったりスライムみたいになっちゃうとき。

ニュートラルに戻る糸口はヨガ哲学だった。

 

そんなヨガ哲学の本を紹介します。

え、今まで前置き?

 

ヨガ哲学に興味をもったら

この赤い方の本はね、ヨガ雑誌yogini(ヨギーニ)のアーカイブ版。

難しいヨガ哲学がスルスルわかる ヨガを深く学びたい

貸し出し用として2冊買ったんだけどね、早々に欲しい人にあげてしまいました。

まずはこれがおススメ。

今までのyoginiの、ヨガ哲学についての記事を集めているから、

何度も同じようなことが違う表現で出てくる。

そして小難しい書物よりはずっとわかりやすい。

絵も例えもあるし。

それでも結構難しいなぁとは思うけど、

ポーズだけでないヨガの世界があるってことをとても感じられると思う。

これが目次。

わたし、これのマザーテレサの写真を見たとき、号泣したんだよね。。。

理由は謎なの。今見てももう泣かない。何だったんだろう。

マザーテレサが子どもを抱いている写真だった。

 

青い方は、インテグラル・ヨーガ

パタンジャリのヨーガスートラは、読むとよく眠れます。
パタン砂利って変換されるんですけど。何それ。パタンジャリは人です。砂利じゃない。

数ページしか進んでいないのにいつの間にか寝ています。

この本を開くたびにわたしはのび太のように寝てしまい一生読めないのか?

と思っていたけれど、

最近読めるようになりました。

おススメしてるのか?してますしてます。

ヨガ哲学といえば、ヨーガ・スートラは外せません。

これは、最初から通して読むのもよいけれど、

パッと開いたページを読むとか、

パラパラとめくって気になる言葉があったらそこを読むとか、

そういう方がわたしには合っているみたい。

そして、ちゃんと、この本に出会う、というか、受け入れられる、というか、

そんな時期があるのかもしれない、人それぞれの時期に。

あーー、あのときのアレって、そーゆーことか。

っていうような気づきを得られる。

でもねー、これは通して読んだ方がいいとも思う。そうできるときが来ると思う。

何度も何度も、開くんだと思う。

わたしは本に書き込みしないし付箋も貼らないのだけど、
必要なくなったら誰かに譲りたいから

この本だけは、書き込みも付箋もある。

ひとつの世界観、考えとして読むのも面白いと思います~。

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