感情は身体に記憶される【れいこ号泣事件】


押されたら泣くスイッチをハマさんは押した

やられた。

どうして背中を、胸の裏を、ずっと押されているんだろうと思っていた。

だんだん、胸の真ん中が痛くなってきた。

いつも苦しくなるところだ。

呼吸と動きのワークをした。

ワークの最後の息を吐き切ったとき。

涙が止まらなくなった。声を出して泣いた。

周りに人が居ようと関係なかった。気にするとか気にしないとかいうレベルではなかった。

泣く理由はわからなかった。

ただただ、何か、閉じ込めていたものが出て行った。

背中がずっと温かかった。

ひとしきり泣いた後、雨が止むように、それはスッと終わった。

 

呼吸が、とても楽だった。

息をするって、こういうことだったのか。

息を吐くって、こういうことだったのか。

 

そのときは講習会で、ワークの見本になっていて、囲まれているというのにですよ。そんな状況でよく泣けるわ。

 

それが、ヨガセラで、ハマさんがしてくれたこと。
Yoga Thera

 

その帰り道、車を運転しながら、

感情の嵐だった。

 

まず、怒りが湧いてきた。

父親への怒り。

暴力への怒り。話を聞いてくれたことなんて一度もなかった。

それから、母親への怒り。

助けてくれなかったこと。信じてくれなかったこと。

夫への怒り。

この内容はちょっと書けない。
ちなみに夫にはちゃんと伝えている。深刻な内容ではない。

 

両親への怒りのきもちは、もう片付いたものだと思っていた。

父が死ぬ前に、全部許したつもりでいた。

そうしないと、結婚式でさえ言わなかったありがとうを、言葉通り一生伝えないままになってしまうから。

それに、自分が大人になり、親になり、両親だって完璧ではなくて必死に生きているんだとわかったから。

何より、許さないと自分が辛いから。

わたしが許そうが許すまいが、父には関係のないことだとも思う。

だから、もう、終わったことだと思っていた。

 

でも、その記憶が、

早送りでガーーーっと再生されるように、

怒りとともに湧いてきたのである。

やっぱり許せない。

 

そして次に、

とんでもなく悲しくなってきて、

わんわん泣いた。

悲しくて悲しくて、しょうがなかった。

 

それが、

車を運転する30分くらいで起こったこと。

よく事故らなかったな 笑

 

あれはトラウマの解放だったのかねぇ、

と思っていた。

解放されたんだろうか、わたし?

ボディワーク、だけじゃないよな。

けど、ボディワークも、すごいな。

 

ひとりなのに、同じことが起こる

そういえばあんまり胸は苦しくないな、最近。

ずっと発作も起こっていない。

パニック障害と言われてしまった。
これは2、3年くらい、前だ。

こんなこともある。
ヨガしながら泣くって。

 

ところが先日、

何となく苦しい。

これは、いつアレが来ても、おかしくない。

胸から首、耳までギューーーっと苦しくなるアレ。

いつもと違うのは、背中が痛いなぁ、ぶつけたみたいに痛い、っていうのがプラスされていた。

触るともっと痛い。

アザくらいありそうなもんだけど、何もない。

 

と、思いながら夜寝るとき、

無意識に呼吸を深くしていた。

胸の真ん中から何度も息を吐いていた。

 

そうしたらまた来ちゃったのである。

父への怒りと悲しみ。

今回は悲しみの方が強かった。

涙がはらはら止まらなくなっていた。

通り過ぎるのを待って、

鼻をかんで、スヤスヤ寝た。

 

 

感情は身体に記憶される

気づいたことがある。

胸がギューッと苦しくなるのは、中学生の頃からだ。

考えてみれば、その頃が一番辛かった。

父の暴力が一番ひどくて、逃げ場もなかった頃だ。

誤解のないように付け加えると、別に毎日のように殴られたり蹴られたりしたわけではない。
言葉や態度だって暴力になりえるし、他にもある。
その状況にならないために中学生の女の子が常に緊張しているということが、どれだけ辛かっただろう。
今はそう客観視できる。

それから、ずっと、疲れると、特に眠っているときに多く胸が痛くなった。

20代の終わり頃に「我慢が続くと苦しくなりがち」という傾向に気づいた。

つい最近は、苦しくなる兆候が出てくると、

何が辛いのか探すようになった。

実はお風呂に浸かってリラックスしているつもりが、

もう暑すぎて上がりたいと思っている、とか。

これ、本当に気づいてなかったの。びっくりした。

とにかく状況を変えてみることで対処していた。

 

でもねー、

これ、トラウマだね。

わかった。

これは父への怒りと悲しみと寂しさなんだ。

そうじゃなきゃ、胸の痛みとともにわいてくるこの感情はない。

頭でどれだけ考えて許して終わらせたつもりでいても、

とんだ勘違いだったってことだ。

蓋をして仕舞っていただけ。

 

そして、身体と、心って、やっぱりつながっていて、

 

心って、身体に記憶されてしまうことがあるんだ。

 

だから、身体にアプローチすると、

心が解放されることもあるんだ。

 

って、わかったら、結構、楽になった。

 

こういう本もあったねそういえば。まだ読んでないけど。

 

 

背中と胸、、ヨガで言ったら、チャクラか。。。

あのあと、最近は、喉がときどき苦しいんだよね、とても力が入っているのがわかる。

何か詰まっているのを抑え込んでいる感。

それって、やっぱり、チャクラか。。。

てことは、少しずつ、いろんなものが解放されていくんだな。

たのしみ(^^♪

 

わたしも、これから。

わたしは、

虐待で傷ついている人だけでなく

虐待してしまう人の助けにもなりたいと思っている。

直接的じゃなくてもいい。

身体が楽になったり、優しさに触れたり、そういうことって、

ほんとうに草の根的だけど、変わっていくと思う。

もちろん、虐待とかそんな枠は要らなくて。

みんなみんな、ラクになればいいのに。

 

別に、父と出会わなきゃよかったって思ってはいないの。

そりゃあ辛かったけど、まあできれば避けたかったかもしれないけど、

だからこそ知った本当の優しさ、

それをまず教えてくれたのが学校の先生だったこと、

それで職業を選んだ、

そこで経験したこと、

父が病で倒れたからこそ命の期限や生きる意味を考えて、

ヨガを学びたいという夢を現実にしたこと、

人生で何が一番大切か考えて行動に移したこと。

そして今。

腹が立つけど、ものすごい影響を与えてくれたわけよね。。。

 

 

何かを乗り越えなくちゃいけないとき、そっと寄り添って背中に温かさを伝えられる、

それって本当の優しさじゃないだろうか。

ひとりじゃないよ、助けるよ、って、そういうことができるのが、

人として生きることではないだろうか。

その温かさは、ひとりになったときもちゃんと感じられる。強さになる。

そしてそれを知ったら、

今度は自分が他の人にもそうしたいって、思うよね。

乗り越える方法と、あたたかい優しさと。

そういうことを伝えていきたい。

 

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