なぜ本を読むのか。


わたしにとっては普通のことなんだけどわりと驚かれること、ふたつ。

 

ひとつめ、たくさん本を読んでるんだね。

ふたつめ、よくそんなに文を書けるね。

 

今日はひとつめの、本を読むことについて。

 

わたしが本を読むのは、新しいことを吸収したいときもあるけれど、

自分の中の何かとカチッと一致するものを宝探ししている感覚。

 

 

子どものころから本ばっかり読んでいた。わたしの読書遍歴

子どものころから本は好きだった。

学校の休み時間も本を読んでいた。

面倒くさいクラスメイトと休み時間にまでかかわらなきゃいけないなんて、げぇぇ、だった。

外に出て友達と遊びなさい!って叱られたこともあったけれど、ちょっと何言ってるかいまだにわからない。

だからわたしが教員になったときは、休み時間に静かに過ごしたい子には決して外で友達と遊びなさいなんて言わなかった。
お天気いいのにお日様浴びてこないの?もやしになっちゃうよ、って言ってみたことはあるけど。いいの、絵を描きたい!本を読みたい!ならそれでよし。
好きなように過ごすがよろしい。学校で唯一解放される時間だというのに。
けんかばかりのドッジボールや鬼ごっこより平和で心静かではないか。
運動は体育や、登下校に歩くんだから、大丈夫。おっと、語ってしまった。

小学生のときは、こまったさんシリーズや、わらいばなしとか、ズッコケ3人組とか、読んでいた。

漫画はなぜか母親が許してくれなくて、読んでいいのは、ときどきりぼんを買ってくれるのと、図書館で借りる火の鳥、手塚治虫。

 

中学生くらいになると赤川次郎を読み始め、

まあ完全に親の趣味、親の検閲。笑

 

高校生になると、雑誌oliveの発売を楽しみにし。

夏目漱石の吾輩は猫であるを笑いながら読んでいた記憶がある。

吉本ばななや、江國香織、村上春樹、っていうこの年代が好きそうなところにもしっかりハマり。

小説ばっかり読んでいたけど、いつの間にか、エッセイが好きになり。

 

大学生になると、英米文学の作品を少し読んだ。課題だったから。意外と、シェイクスピアって面白いよ。

あ、でも、同じ講義を受けていた夫は、そんなこと少しも言ってないから、やっぱり人によるよね。

で、就職して、何かと精神力を試される出来事が多く、

心理学系の本も読んだ。

認知行動療法はなんか好きじゃなくて、そこからNLPならできるなとか。

 

今は、

エッセイや、自己啓発書を読むことが、ここしばらくは多かったところから、

ヨガや東洋医学やなんかの本を読むことが増え、

家事の本を読むこともあるし、

小説もときどき読む。

だいたい、このそれぞれのジャンル1冊ずつ、
本を入れるバッグかテーブルかベッドサイドにあって、
そのとき気が向いたものを開いている。

今読んでいる本、って聞かれても、同時進行で何冊も読んでいる。

だいたい、週に1冊は読むし、週に2冊か3冊のときもあるし、

サーっと目を通すだけならもっと読む。

何年か前にフォトリーディングの本を見て少しやってみたこともあるけど、

わたしはゆっくり読むこと自体が好きみたい。

情報を取り込むのが目的なら、いつかフォトリーディングも本気でやるかもしれない。

 

 

なぜ本を読むのか?

本を読んでいて好きなのは、

ああ、その表現、わたしが感じていたことだ。

と、気持ちを掬い取ることができること。

 

それから、

ああ、それってそういうことか。

と、考えが形になった気がする。

あっちの知識とこっちの知識とそっちの経験が結びついたりも。

 

新しい知識の吸収でさえ、

ただダウンロードするのではなくて、

自分のなかにちゃんとインストールされるのは、

その言葉が自分にきちんと落ちたときだと思う。

ってことは、全くの新しいことではなくて、

自分の中にあったものと一致させるような感じ。

やー、ちょっと伝わらないかな?

 

エッセイや小説を読むときは、その世界観に入り込むことができる。

旅をするように。

 

出かけるときには本を持っていく。

本を忘れても、スマホに読書アプリはあるし、

荷物が多いときや暗いところで読むときにはキンドルもある。

 

本を読むことは、

わたしにとっては、自分を知ることだし、自分じゃない世界を見ること。

本を読んで、自分のなかで何かが醸成されていく感覚。

静かな世界。

 

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