見えたものと、これからやりたいこと。


わたしはよく、やることリストを作る。

頭の中を整理するために。ブレインストーミングみたいなもの。

裏紙にダーッと書いて書類挟みに挟んでおく。

メモをしてもすぐなくすから。

メモはその書類挟みか、ダイニングのホワイトボードか、ほぼ日手帳に書いてある。

 

ひさしぶりにやることリストを書きたくなって、

書類挟みを出して、数枚ぺらぺらっとめくって数か月前のものを見た。

 

 

もう、やることはないであろうタスクがいくつかあって、

しばらく固まった。

特に仕事関係。

 

ほんの二か月くらい前に考えていたことだ。

 

ちょっとの間に、何かが大きく変わってしまったんだ。

 

使える場所がない

みんなで集まることができない

 

たったそれだけのことで

こんなにも変わるんだな。

 

わたしは

何かができなくなったショックではなくて

生活とか仕事とか生き方ってこんなに簡単に揺られてしまうんだっていう

自分の力ではどうにもできないところでこんなにも簡単にひっくりかえされてしまうんだっていう

そういう感覚を

へぇー

って味わってしまったのである。

 

たくさん勉強して、お金かけて、努力して、働いて、

先のことを考えなさい、そのために今努力しなさい、

とか、そういうことしてきて、そうすることが当たり前とされてきて、

外の環境が変わった途端に崩れるんだ。

 

だからって、誰かを責めても、どうにもならない。

自分のことには責任を持っておかねばならない。

言われたとおりにしていてもダメなんだなぁ。

そういう現実を、見て、把握した、へぇー。

 

幸いわたしは

いますぐに生活がどうとかいう悩みにはぶち当たらない。

幸運だし、リスクを分散してきたというのもある。

だからこんなのんきに構えていられるんだと思う。

今までに、働き方や生き方を考えて行動に移してきた。

無意識であれそういう準備があってよかったと心から思う。

夫婦げんかもして、ウツにもなって、思い切って仕事も替えた。

そうして選択してきたことが、ああ、これでよかった、と。

前の仕事を辞めておいてよかった。

心と身体のことを学び始めてよかった。

仲間に出会えてよかった。

夫と話し合う素地ができていてよかった。

 

わたしが今、恐怖に飲み込まれることもなく、

むしろ新しいフィルターをとおして(そう、たぶんフィルターはある)

人の本当のやさしさ、強さ、賢さなどが見えたことは、

よかったとさえ思っている。

もう嘘はつけないのだ。わかりやすくなった。

追い詰められたとき、非常事態になったとき、人の本質が見える。

 

わたしは、ほんとうのやさしさに触れることがたくさんあって、

幸せを感じている。

仲間や師匠、保育園や学校の先生、もちろん家族、それに見知らぬ人も。

近所を歩いていて、知らない人には「こんにちは」ってあんまり言わない。

でも最近は言いたいし、言われると嬉しい。

うちの末娘は、誰にでもあいさつをするタイプで、犬の散歩をしている人にはバイバーイって手を振る。

相手の顔がふわっとするのが、わかる。

前は、そこまで反応がなかった。

やっぱり何かが変わったんだ。

 

一方で、攻撃的になってしまっている人もいる。

きっと不安でいっぱいで、どうしたらいいかわからないのだろう。

そういう人たちとの

二極化を強く感じる。

残念だけど、、自分で変わりたいと思わなくては変われない。人のせいにしている限り無理だ。

 

わたしがこれからやっていきたいことは

明るい方へ向かっていく人たちと進むこと。

人生を楽しみたいと思って行動に移すことができる人たち。

そういう人と一緒にいたいし、

学ばせてもらいたいし、

わたしが役に立てることは提供したい。

 

さーて

何ができるかな。

 

まずは発信していくことだって思ったの。

昨日、久しぶりに末っ子を登園させて、たまっていた園からのお手紙を読んで、

先生たちはこういう思いで仕事してるんだなって思ったら、

わたしもがんばろうって思った。

何にもできない、って思っていたけれど、

わたしは先生からのおたよりのメッセージでも元気が出るんだ。

書くことならできる。息をするようにできる。わたしには簡単だ。

 

あとは、アウトプットできるタイミングがくるまで、

インプット祭りだな。

勉強するの大好き。

 

わたしがやりたいことは、

思いをもって働くこと。

大好きな人たちといっしょに生きること。

 

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