ことばで捉えるということ


夫は大学のひとつ上の先輩で。

オレ先輩なんだけどな、と夫もときどき思い出して首を傾げている。
どうやら結婚後に下剋上にあったと思っているらしい。
わたくしにはそんなつもりはございません。

夫も私も、学科は違えど言語に興味をもって学んで、

で、その当時の彼氏の卒論が面白くって一緒にいろいろ調べちゃって、
結構手伝ったのかもしれない

はっきり言って自分の卒論より面白かったと思っている。

 

言葉によって物事を切り取って見ている


そのときのテーマが、
人が物事を捉えるのは言語によってである、
っていうような内容で。

 

たとえば、日本では虹といえば何色ある?

 

赤・橙・黄・緑・青・藍・菫(すみれ)の七色。(大辞林)

 

でもアフリカの部族ではこれに黄緑が入って8色。

アメリカでは藍がなくて6色。

ドイツでは、赤、橙、黄、緑、青の5色。

赤と黒の2色っていうどこかの部族もいるらしい。理解不能だよね

 

でね。

世界各国によって出る虹が違うのかっていうと、そういうことじゃないでしょ。

たぶん、日本でいう青、藍、菫のあたりが、アメリカとかドイツの例だと、全部青というくくりなんじゃないかな。

 

 

でもわたしは、日本の『赤・橙・黄・緑・青・藍・菫(すみれ)』っていうのを
日本人がきちんと見分けているかというのは、それはどうかと思う。

虹の色を見てまず7色探すと思うんだよな。虹は七色、っていう概念があるから。7色という言葉に縛られて。

そうすると、例えば私なら、赤、橙、黄、黄緑、緑、青、紫、って探す。ほんとだ7色ある~、って。

でもでもでもでも!

やっぱりその間の色はあるわけよ。

例えば青と紫の中間の色が。

目には入っているはずなのよ。

だって言葉で切り取れない部分が消えてるわけではない。

そこを意識して見るには、「青と紫の中間の色」とか「藍ってあるんだって」っていう言葉を意識する。

そうするとそこを切り取って意識することができる。

でも本当はそのグラデーションはものすごーく細かいはずなんだよね。言葉で分けられないほどに。

 

そういう例は、虹もそうだし、雪の結晶とか、季節とか、天気とか、そういうところにも見られる。
もちろん気候とか環境がそもそも違ったりもするけどね。

 

 

言葉で拾えないもの

それでですね、

何を今こんなこと言い出すのかというとですね、

我々は言葉で理解しようと意識しすぎて、

言葉で捉えられないものを見落としてしまうことがあるなって思ったの。

言葉にできなくても気持ちがそこにあるとか。

点にフォーカスすることで、ぼんやりと全体を捉える、というのが抜けちゃうとか。

 

だから、

言葉だけじゃなくて、

感覚とか、経験とか、自分の目で見たこととか、そういうのも大切にしたい。

行間を捉えるっていうかね。言葉で拾えないものを感じたい。

 

ってことを、身体の学びを深めながら思った。

ex.1
背骨、って言ってるけど全然意識がないところがあるわ~
どーゆーことー?
わたしの背骨なのにわたしが使えてないってどーゆーことー???笑

ex.2
わたし、伸展とか屈曲とかあべこべになってわからなくなるけど、
その言葉がわからなくても、どこがどう動いてるかわかりゃいいんじゃね?
本質はそっちよね?
そして本質がほんとうに腑に落ちたとき、言葉で切り取って説明するのはきっと簡単になってる。

 

言語の獲得もそうだけど結局そっち笑

ちなみにわたしの卒論は津田梅子と英語教育。
英文で書いたんですよ信じられない。
きっと今なら自分でも読めない。あの頃は頭が良かったんだと思うよ。。

本当は言語の獲得についてもっと学びたかったんだけど、そうなってくると脳科学だってことになって。
英語教育学ではそこまでやらんって言われて。
じゃあ教授おすすめのテーマでいいです、ってなんと投げやりな学生。
幼少期から留学し英語の獲得に苦労し日本語を忘れちゃったような梅子さんが、日本の学生にどのように英語を教えたのかという内容です、はい。
でもやっぱり言語の獲得は興味深い。

ねえどうしてヒトは言語を獲得するんだろうね?赤ちゃんがだよ。すごくない?聞くだけで。しかもどんな言語でも。

何か言語の種みたいのがあるんだよね。

で、あるときを境に、知らない言語については聞き取れない音やできない発音が発生するのよ。

その境っていつどんなときなんだろう。ね、気にならない?

最初は何があったんだろう。そして時間が経つにつれて何がどれだけ失われるんだろう。成長って何だ。

本当はこういう↑勉強をしたかった

そしてさ、そう考えたら、言語だけじゃなくて、身体能力も、自然に獲得するのだから、

獲得できる期限があるのか(それを過ぎるとと獲得の方法や質が変わる)、

素質っていうか素地っていうか、種、芽、それはどんなものなのか、

学びなおしの方法を変える必要はあるのか。

自然に獲得するように環境をととのえればいいのか(赤ちゃんと同じように、、無理よね)、何か効率的なプログラムがあるのか。

新しく学ぶことの可能性ってどこまであるのか、

って、ほら、また身体の学びに偏っていっちゃう。

もう変態だよねきっとこの思考。

 

 

学ぶっていうことに興味があるんだよな、わたし。

言葉も、身体の使い方も、学ぶことができるし、それによって生活、人生を変えることができる。

とっても、おもしろい。

 

 

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