ひとりでお風呂に入りながら考えた。
これからどうなるんだろう。
新型コロナ、世界の変化、
人々の内面の顕在化、
物質的豊かさ、食糧。
わたしは健康でいられるだろうか。
夫は。
子どもたちは。
親は。
大切な人たちは。
見ず知らずのかけがえのない人たちも。
お金もどうなっちゃうんだろうな。
あ、でも、変わってしまうかもとか、
失ってしまうかもとか、
そういうのって、
つまり、
今はそこにあるってこと。
今はもってる。
じゃあ今、それがあって、幸せ?
幸せなら、それでいいし、
幸せじゃないなら、それはなくても困らないってこと。
意識を、今、ここに。
今、呼吸をしている、命が与えられている。
健康、にはまだ遠いかもしれないけれど、日々普通に暮らしていける身体がある。
休校だ分散登校だで、てんやわんやだけど、家族と暮らすことができている。
ありがたいことに、今すぐ困るような経済状況でもない。
食べるものにも困っていない。
日は長くなり、日差しも春。
わたし、
すでにいろいろ、手に入れている。
サントーシャ。
足るを知る。
今ここ、に意識を向けること。
将来の不安、過去の後悔や他人責め…
そうじゃなくって、
今、ここに、自分が在ること。
その貴重さ、ありがたさ。
あたりまえのように
そこにあるもの。
失いたくないと思えるような、
たくさんの、大切なもの。
今に意識を向ければ、
その大切なものがある 幸せを感じることができる。
すべてはそこにあって、
ただ、それに気づくか、見つけるか、どうか。
失うとか、足りないとか、そこじゃない。
心配したり頑張ったり または自然にだったり、そうして与えられた今あるものを、味わう時間ってちゃんとあるだろうか?
明日からまた新しい学びを始める。
それだって、もうすでにそこにあって、
その蓋を開けてみるってこと。
そう考えると、人生にはギフトがいっぱいだよね。