嫌いすぎて震える言葉と、スートラの最初の文。


かつて、ブルブルしちゃうくらい嫌いな言葉がありました。

 

 

人は変えられない、変えられるのは自分。

 

っていう言葉がずーーっと嫌いだった。

でもおかしいのは向こうじゃない?
何で私が変わらなきゃいけないのよ。
こっちが折れる必要ある?
自分より相手を、しかも大嫌いな相手を大切にするってことかい。
何だよそれ。

そう思っていました。

 

はい

勘違いでした。

自分を変えれば自分が幸せになるんですよ。
相手のためじゃない。
相手に自分を縛り付けて苦しむことはないんですよ。

 

たとえば。

何で私はこんなに不幸なのかしら。

って、思う自分がそういう世界観を自分に与えているだけで、

もし

なんて恵まれているのかしら。

って思ったら、恵まれていることになっちゃうんですよ。

、、、伝わりますかね?

環境や境遇やなんかが全くそのまま変わらなくても、

自分がそう思うかどうかなの。

 

 

じゃあどうしたらそう思えるかって。

思い込むんじゃないんですよ。
本気でそう思い、そう感じる。
それがね、私にとっては、ヨガだったんです。

ヨガ哲学を学んで。

 

起こることに無駄なことは何もないこと。
修行をするため、経験をするために生まれてきていること。
すべてのものはひとつであること。
自分だと思っている自分は、自分じゃなくて、観察するように周りを見ている存在が自分であること。
映画のように。
映画のスクリーンに映し出されるものは自分ではない。
映画では幸福も不幸もある、一喜一憂するかもしれない、でもそれは観客そのものに何の影響もない。
気づきは、ある。
観客が、私。

映画に翻弄される必要はないと気づくこと。

私を振り回すのは、、、感情。
事実ではない、感情。
そこで起こっていることではなくて、
それを見たり聞こえたりして何かを思う自分の感情。

YOGAS CHITTA VRITTI NIRODHAH
パタンジャリのヨーガスートラの、最初の一文です。

『ヨガとは心の作用を止滅することである』
死滅じゃないです、止めるんです

 

恵まれている、幸せだ、と思えばそうなるけれど、
それさえも思わないってことか。

確かに、幸せでなくちゃいけないとか、
幸せでありたいとか、
求めちゃうと苦しくなることがある。
だから離欲?

 

学んですぐは「???」だったけど、
頭の片隅に残ってはいて、
ある日あるとき突然、
あ、そういうことか!
と、
日常にストンと落ちる機会がいくつもあって。
そこから芋づる式に理解が深まることもある。少しずつ。

そしてアーサナをしていくと、
身体と精神で実感してくるようになってきた。

ヨガは、幸せに生きるための強力なヒントがいっぱいです。

だからこそ、何千年の歴史があるのでしょうね。

 

本当の幸せって何だろう。

最終的には幸せと思うことも手放すのだろうな。
そこまで、やる気は、今のところ、ない。

 

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