偶然の再会で知ったこと


昨日の記事をヨガ仲間に「カルマの昇華だ」と言われました。
過去の嫌なことを何度も思い出すことほど、意味のないことはない。

過去の記憶が、感情とセットになって思い出されるうちは、まだカルマは昇華されていない。
思い出しても感情を伴わなくなったとき、初めて手放せたということで、カルマが昇華されたというらしい。

確かにね。もうナマモノ感はない。ただ事実として置物のような過去。

ヨガ哲学の講座もやってるtomomiちゃん。
ご興味ある方はヨガセラへどうぞ。
https://studio-light.org/

 

今日のお話は結構個人的なやつです。

動物園へ行く

さて、続きです。

数日前に、動物園に行ってきました。
末っ子の保育園の親子遠足です。

たくさんの小学生も来ていました。
私もこうやって引率していたんだよな。
それにしても先生方、楽しくなさそう。つい観察しちゃう。

ちょろちょろする娘を見失わないようにする中、
だから撮った写真はビーバーと娘の中途半端な図

 

あ。

 

偶然の再会

知っている方を見つけました。

私が最後に勤めていた学校で、学びのサポーターさんをされていた方でした。
首からネームを下げて立っているところを見ると、今日は引率らしい。

学びのサポーターさんは、教室に入って、
支援が必要な子に付き添ったり、授業の内容によって手や目が多く必要だったりするときなんかに、サポートしてくれます。
当時の私の職場では、低学年の教室に入ることが多かったです。

私は育休復帰後は低学年ばかり持たせてもらったので、このサポーターさんには本当にお世話になりました。

教室に入ってもらうってことはですよ。
私の授業や学級指導をずっと見てきたわけです。毎日ではないにしても。
ほかの誰より、私が教室で子どもたちにしたかったことを、知っているんです。

どんなことで叱ったのか。
子どもたちとどんな話し合いをしたのか。
何を大切にしていたか。
何を伝えていたか。

私が教師として最後の年にしたことは
『生まれてきたことは奇跡、自分を大切にしてね』と伝えること。
そして周りの人たちも同じように大切な存在であること。
学校の勉強も大切だけれど、世界は学校なんかよりずっと広いこと。

そのとき、父が、ホスピスに入院していたのです。

教室の窓から病院が見えました。

お父さんっ子ではありません、私は子どものころから父のことが大嫌いでした。
でももう会えなくなるとわかって、結婚式でさえ言わなかったお礼の言葉を、伝えることができました。

いよいよ病院で家族がつきっきりになる状況になり、休みがちな私は、

クラスの子どもたちに何度も話しました。

先生のお父さんが、あそこの病院に入院していてね。

もう、治らないって言われたんだ。うん、死んじゃうって。

そういう人もいる。

そして初めて命の大切さ、元気の大切さが感じられる。

今健康で命があることは奇跡。

きっと何か意味があって生まれてきている。

当たり前のように生きているけれど、当たり前なんかじゃないんだ。

 

それはヨガの話と同じでした。

 

 

その数か月後、

人の亡くなる姿を見たことのショックや
家庭や育児の忙しさやなんかで
心身の不調を感じるようになり、
私はもう退職を決めてはいたのですが、
その年度の登校日残り少なかったのに、朝の職員室で、「もうダメです」と涙が止まらなくなった私を見て、

そのサポーターさんは一緒に泣いていたのです。

他の先生方は何だかわからないのに。そりゃそうです。

あの日が、サポーターさんとお会いした最後だったのです。
もう、5年くらい前でしょうか。

私は休職することになり、そのまま退職しました。
最後まで頑張れなかったこと、もっとできたんじゃないかってこと、
ずっと後悔にも似た気持ちでした。

そして人のせいにもしていた。
診断書を出しても人手ばかり気にする上司、
もう辞めたいと言ってもお金のために働けという夫。
人のせいにしてた自分からも逃げたかった。
格好悪すぎて。

 

 

「こんにちは」
と声をかけたら、覚えていてくれました。
私、外で知り合いと会っても、ほぼ100%、声をかけません。理由は謎です。
なのに、何も考えずに、自然と、挨拶してしまった。
今もサポーターさんなんですか?いや私は娘の遠足で、、、

 

私にとって、教員であったことは、隠したいことだったのです。
前の記事にも書いたように、失敗をたくさんして、消したい過去。
だから、そっち関係の人とは、自分からかかわりたくなかった。

それも、このサポーターさんは、私の仕事を、近くで見ていた人で。

ところがね。近くで見ていてくれたからこそ、声をかけられた。

 

私、やっていたこと、好きだったし、こういうことを伝えるのが、したかったことなんだ。

じゃあ、教員でなくてもいいし、むしろ教員でない方がいいし、

今ちゃんとその道を進んでいる。

 

 

そしてね。

動物園、私、トラウマで、近寄れなかった場所のひとつだったんですよ。
20代の時の例のトラウマでですね。
動物園や、その近くの神社に行くときは、いつも「大丈夫かな」ってドキドキしていた。
それが今回はそんなことも思い出さなかった。

そんな場所で、偶然にも再会した人がいて。
その学校が動物園見学に行く日と、
娘の保育園の動物園遠足の日が重なり、
たまたま同じ場所に立って、ですよ。

私がカルマを昇華してそんなに時間が経たないうちにですよ。

どんな偶然なんだ。

 

過去の仕事が、経験が、自分で、まるっと受け入れられた日でした。

これからはただまっすぐに、ヨガとトークセンの仕事をしていけそう。
後悔もなく、逃げた感じもなく。言い訳もせず、隠れもせず。
こんな格好悪い話まで公開して。

格好悪い話を公開してくれる人と出会えたことが転機でもあります。
え、そんな話して笑えるのってすごい、って。聞いてて確かにおかしいし。
それは誰かと言うと、トークセンの師匠なんですよ。
施術の見本見せながら、過去の仕事で失敗した話をしてくれることがあります( ´艸`)

 

偶然って何なんだろうねー。

タイミングも出来事も。
ちゃんと見計らって起こるようになっているんじゃないかって、
ほんとに思うわ。

まだ偶然はあるんですよ。
遠足中に保育園のお友達のお母さんから声をかけられて
「旦那さん、先生ですか?」って。
上の子がお世話になったと思いますって。
夫が何年か前に担任した子のご家族でした。
教員という仕事にフォーカスされる日でした。

偶然は必然。

カルマというものがあるのだとしたら

私やっとこの出来事から得るべき学びを得て、

必要なくなったからナマモノから置物になったんだな。

もう必要ない。

味のなくなったガムみたいに、味が尽きたら捨てるだけ。

わざわざ苦しみも味わうなんて、人間ってば変態。