誰かの役に立ちたいのなら、まずやること。


誰かのためになりたいとか、役に立ちたいとか楽にしてあげたいとか、そう思って仕事をするのも良い。

まず自分、それはわかってる。これはもう基本すぎるので すっ飛ばす。いやそれがなかなか難しい人もいるけども。

ここで話題にするのは『じゃあ身近な人に、どうしてる?』ってこと。

 

今年のお盆は、祖母と母と夫にトークセンをした。

祖母に「あんたたちが来たのは1年ぶり」と言われた。
ちなみに大正生まれの祖母はボケていない。
うちから車で30分のところに住んでいるのに、会うの1年ぶり?
「えー、ウソん!」と本気で驚く私の方がボケている。

これまた車で30分くらいのところの母に連絡を取ろうとしたら、前回のLINEは1か月前。
二人とも同じ市内に住んでいて、元気みたいだし、ついほったらかしにしてしまうけど、あらあらいけない。

 

もっと身近な人も大切にしたほうがよい。いや大切には思ってるんだけどね。
この人たちにトークセンせずに広く活動しようなんてアホか私、と思って道具を持参したのです。

小さかった頃は、おばあちゃんに、背中を踏めって言われたな。今やったら間違いなく虐待だ。
おばあちゃんの背中に乗ることがマッサージだった私は、今やおばあちゃんの背なんてとっくに抜かしているアラフォーだ。
最後にマッサージしたのなんていつなんだ?30年くらい前か?やー、よかった、生きてるうちにトークセンできて。

 

大学生の時に、単位のためにボランティアに行かねばならず(強制ボランティアとはおかしな話だ)、特別養護老人ホームの100歳近いおばあちゃんの話し相手になりながら、「やー、そもそも自分の祖母にだってしばらく会っていないのに、ボランティア活動してるってどうよ?他人様のお役に立つのは確かに素晴らしいことだけど、自分をかわいがり育ててくれた人に自分は何もしていないではないか。順番がおかしいのではないか」とぼんやり思った記憶が、よみがえった。

また、仕事が辛いという理由(おそらく)で家族に当たり散らしていた父のことも思い出した。父は仕事仲間からは慕われていたらしい。私にはそのことにものすごく違和感があった。どうして他人にはとっても良い顔ができるのに、家族には八つ当たりするのか?外と家、どちらの姿が無理をしている姿なのか。外で他人のために頑張るなら、家族には嫌な思いをさせても良いのか。いつも優しいモードではいられないのか。誰が食わしてやってるんだ、と激高する父を思い出す。そんなに大変でも食わしてやるというほど大切に思ってくれるのなら、なぜ嫌な思いをさせるのか。子どもながらに悩んだ記憶がある。今ではわかる。父だって完璧じゃなかったんだ。

今の私も、仕事と家庭のバランスは課題。そして、夫の仕事と家庭のバランスに関する価値観や感覚を 理解し すり合わせていくことも、課題。例えば「そんな理由で早く退勤するなんて言えない」ということとか。けどさ、お母さん業をしていると、はぁ?って思うわけ。「子どもを早くお風呂に入れてご飯を食べさせなきゃいけないので残業はできません」って当たり前じゃない?と思うけど、当たり前って人それぞれなんだ。夫婦でこの当たり前が違うと、すれ違いが始まる。夫の当たり前は「家に妻がいるのに子どもの世話を理由にさっさと退勤はできない、それは自分の意志とは違うけれど周りの反応と仕事量の問題で」だろうから。それを、誰かの当たり前を中心に据えて話し合ったところで、どこかで無理が生じる。

 

自分を大切にしていますか?
家族を大切にしていますか?
自分が大切にしたい人を、大切にできているかな。
大切にするって、どういうことなんだろう。

そんなことに気づき思いをはせたお盆でした。

おばあちゃんとのツーショット写真は末っ子が撮影、ナチュラルな ぼかし。