すべては必然。


『すべてのできごとには意味がある。わたしたちはいろんな経験をするために生まれてくる』

辛いとき悲しいとき、いつも助けてくれる言葉です。

ヨガ・シャラの たか先生からはヨガ哲学をたくさん学びました。

ヨガの教えって宗教っぽくて怪しい面も否定できないけれど、師は「本当かどうかはわからない。でも、そう思うことで楽に生きられるのならそれでいいんじゃないかな」と笑うのです。その通りだと思います。

今回書くのは、私が今までヨガ哲学を学んできた中で、一番心に残って支えてくれているものについてです。

人はさまざまな経験をするためにこの世に生まれてくるのだそうです。

嬉しいことも、悲しいことも、笑い、憎しみ、病気、事故、愛、味、匂い、痛み、感動、別れ、歓喜、、一度の人生では経験しきれない ありとあらゆる全部のことを、魂は何度も何度も生まれ変わって経験して学ぶのだそうです。

いろんなできごとがある。

できごとは、ただ起こる。経験するために。

そのできごと自体に、良いも悪いもない。

良いか悪いか判断するのは、人間の心。

そして、何を基に良い悪いを決めるかというと、大抵は、「心地よいものは良い、心地よくないものは悪い」という何とも自分中心なものなのです。その判断は命を守るために必要な感覚でもあるなと私は思うけれど、振り回されるとちっとも幸せじゃない。

たとえば、うーん、誰かから酷いことを言われて傷ついたとします。それが、『悪いできごと』であると判断するのは自分です。その誰かはただ酷い(と思わせるような)ことを言っちゃっただけです。

そして、その人に何か言われて傷つくという経験をすることが、このたびの人生での経験のひとつとして必要だった。逆にその誰かは、うっかり酷いことを言ってしまう経験をすることとなった。

しかも、波立った水面には実物が歪んで映るように、波立った心には歪んだものしか映らない。真実が見えない。心を静かにするのもヨガの修行…。

自分のしたことは自分にかえってくる、というカルマの法則があります。きっといつか、この人生ではないかもしれないけれど、逆の立場になる日が来ます。もしかしたら前世以前で経験済みかもしれないけど。そうして、たくさーんの経験をしていく。

誰かとの悲しい別れもそう。友人との出会いも。結婚も。わが子たちが私たちのもとに生まれたということも。自分が今この時代にここで生きているということも。全部ぜーんぶ、必然。

だから、私は、辛いとき悲しいとき、その感情が生まれてしまうのは仕方がないけれど、そこに浸らないように努力しています。まずそれを悪いことだと決めつけないでみる。良い悪いで見るのをやめてみる。そしてこの経験は無駄ではないということを思い出す。

すべては、必然。無駄なこと、意味のないことは、何もない

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