やりたいことがわからなかった私は、今やりたいことを見つけて進んでいる。


やりたいことがわからない。

そういう声をよく聞くし

私もそう思っていた。

 

でもさ。

誰にも何も言われないしされない

となったら、どうするかな。

お金も時間も制限がないとしたら

どうするかな。

何をしたいだろう。

 

あと1年しか生きられなかったら

何をしたいだろう。

 

「でも」と「だって」を禁止したら

さて何を思いつくだろう。

子どもが夢の世界を描くように考えてみたら。

 

そもそもそんなに難しく考えなくても

やりたいことが浮かんで来たらいいのだけど

浮かんでこないほど

頭も心も固まってしまっているんだよね。

 

当時は父が余命宣告をされて

私はこれでいいんだろうかと考えるスイッチが入った。

無意識に、あれはダメこれはダメ

迷惑かけちゃいけませーん

お金を使っちゃいけませーん

休んではいけませーん

ってそれはどこで誰から言われたことなんだろう。

そしてなぜそれを信じているのだろう。

ね。おかしくない?

自分はこれをすると幸せですって思うことを

どうしてしちゃいけないのかね。

 

道徳的なことを言い出すとゴッチャになるけど

私はアヒムサが守られる限りはいいと思う。

アヒムサは非暴力とよく訳される。

ガンジーが言ってたやつ。

これは誰かに対する肉体的な暴力もそうだけど

自分に対して言葉や考えで苦痛を与えることも良くないとされる。

すごく疲れているのに自分に無理をさせるのも

アヒムサに反するんだって。

だからと言って都合のいいように自分に甘ーくしろというのではない。

タパス(苦行)とかカルマの解消とかの教えもちゃんとある。

 

で、いや確かにじゃあいきなり仕事辞めますって言うと

路頭に迷っちゃうのかもしれなくて怖いけど。

それならまず

仕事辞めなくてもできる範囲で好きなことを始めてもいい。

やってみたいなぁ程度の軽いものを。

例えば私はまだワーキングマザーだったときに

ヨガのティーチャートレーニングを受けたの。

仕事してて子育てしてて家事してて。

でもヨガをするのは楽しくて。

そこで夫にお願いした。

私はこれを学びたいんです、協力してもらえませんかって。

そしていいよって言ってもらえたの。

 

もし、言わずに勝手に我慢していたらと思うと恐ろしい。

私はやりたいこと我慢して家族のために尽くしているそれはお母さんだから当たり前

自分のためにお金と時間を使うなんてとんでもない しかも夫に子どもを預けてまで贅沢よ

あー私は大変誰も協力なんてしてくれないし一体何のために生きているんだろうか

なーんて恐ろしい呪文を一生唱え続けてたかもしれない!

 

夫に切り出すときはそりゃあ怖かった。

お金かかるよね、宿泊ありの講座だよね、子どもの世話しろってのか、それやって何になるの、

と、言われそうなありとあらゆることを想像して緊張した。

なのに、想像したものは一つとして言われなかった。

何を言われたかというと

「やりたいことがあるならやりなよ」

は?

へ?

いいのー?

私の中で夫を勝手に悪魔に仕立て上げていた。

すみませんでした夫よ。

あなたは優しいんですね。

 

世の中には本当に嫌な夫バージョンの発言をする人もいるのだろうけれど

そうじゃないのかもしれないし。

言ってみるものだ。

それに言ってダメならほかの手を考えればいい。

そこで諦められるならそんな程度なんだもの。

それにしても、勝手に相手の反応を想像して

言動を決めてしまうのは損だなと思った。

 

言動どころか

私の場合はそれが大きな分かれ道で

最終的に仕事を辞めてしまうという

人生がガラリと変わってしまうことになるのであった。

つづく

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